鉄槌
「やった、やったわ! 私を見くびってるからよ!」
ゾフィーの甲高い笑い声が響く。彼女の動きを封じていた矢も消えているようだった。
しかし、エマは今。ハイネの表情に視線を吸い寄せられていた。あぁ、どうして――
「……見くびっているのは、そっちじゃないかな」
何事もなかったかのように冷静に、失っていない手で筆を握っているのだろう。
「絵画の魔術、
天から。巨大な鉄槌が降る。迫り来る銀の塊に、ゾフィーは鋭く息を呑み、魔術を発動しようと口を開く。しかし、
「遅いよ」
――ドォン、と、地響きを立てながら鉄槌は下された。塵埃が立ち上る中、鉄槌は己の役目を終えてその姿を霧散させる。その下にはゾフィーの姿があった。鼻から血を流し、気を失ってはいるが、かろうじて生きているようだ。
同時に、ハイネもその場に座り込んだ。ようやく、やっとの想いで手が届いたエマは、細い肩に縋り付いて泣きじゃくる。
「ハイネ、ハイネ……!」
「泣かないで、大丈夫だから」
「な、何が大丈夫なの……!? ハイネの、腕が……」
――ふと。そこまで言ったところで気付いた。静けさを取り戻した倉庫の中で、エマの荒い息遣いだけがやけに目立って聞こえる。
彼の片腕は、確かに失われていた。しかし、通常ならば噴き出しているはずの血が一滴も流れていない。断面は、エマの角度から見えない。……見せないようにしているのだろうか。
ハイネは何も言わず、再び筆を構えた。
「……絵画の魔術……修復」
すると、白く透き通った光が集まり、みるみる内にハイネの腕が再生されていく。上腕から前腕、手首、手のひら、そして指の先まで――全てが。
ハイネは何度か確かめるように手を握ったり開いたりしたあと、エマに向かって微笑んだ。
「さっきはありがとう、エマ。君が上だって叫んでくれなかったら、今頃体が真っ二つだったよ。それだとさすがに修復は難しかったかも。ほら、喋れないしさ」
「ハイネ、あなた……何者なの?」
ついに、疑問が口を突いて出た。ハイネは、逃れるように視線を逸らす。
「……エマには……エマだけには、見られたくなかったな。こんな姿」
「それって、どういう……」
エマは更に尋ねようとして、やめた。代わりにハイネを抱きしめる。その体からは確かに温もりが伝わってきて、それだけで充分だと思えた。
「いいわ。何だっていい。ハイネが無事ならそれでいいの」
「エマ……」
ハイネは驚いたように手を宙に彷徨わせるが、震えるエマに気付き、その体を掻き抱いた。
――それから暫くして。
倉庫の扉を叩く音で我に返り、警戒しながらハイネが開けると、そこにいたのはフィリックスだった。町中を駆け回っていたらしい彼は肩を激しく上下させていたが、エマの姿を確認すると安堵したように膝に手をついた。
エマが覚えているのは、そこまでだ。限界まで張り詰めていた糸がついに切れて、気を失った。……いや、本当はもう少し、ぼんやりと覚えている。エマの体は自分が運ぶと騒ぐハイネと、子どもには無理だと諭すフィリックスとで、ちょっとした口論になっていたことを。
恥ずかしくて忘れてしまいたくなったけれど、ふと思ったのだ。
目が覚めたら、ハイネにいつかの仕返し――あの、エマの下手くそな落書きを飾ったりなんかしたことへの仕返しに、ほんの少しからかってやろうと。
そんな、ことを……
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