知りすぎた人間
――何となく、そんな予感はしていた。だからこそ、こういった事態を対処出来そうなフィリックスへの連絡を試みたのだ。
だが彼は来ない。エマは、ひとりで戦わなければならない。
「……罪を犯した覚えはないわ」
きっぱりと否定するエマに、ジャンは「大体みんなそう言うんだよなー」と、鼻で笑う。
「馬車の乗車記録は改ざんでー、孤児院の院長殺しでは目撃者が出たんだよ。だから、逮捕。わかるかぁ?」
「目撃者は、どうやって私がカミラさんの首を切ったと言っていたの?」
「ナイフで脅して、被害者が腰抜かしたところを切りつけたってさ」
さすがに、フィリックスに指摘されたあとに辻褄が合うよう考えてきたのだろうか、ジャンはすらすらと説明をする。しかし所詮は嘘。どこかに穴があるはずだと、エマは緊張のなか頭を働かせた。ところが、
「言っとくけどよ、どんな理屈こねたって圧倒的な力の前には意味ないぜ」
一歩、二歩、ジャンはゆっくりとエマに詰め寄る。この状況を心から愉しんでいるかのように、三白眼が弧を描く。
「お前は従うしかねぇんだよ。意外と頭悪いのか? あぁ、悪いよなぁ。せっかく権力者の目に留まったのに、断るんだもんよ」
「――あなた、フレーベル男爵と繋がってるの?」
背中に壁が当たった。追い詰められ、額に冷や汗が流れるのを感じる。
「さぁどうかね? 繋がってたとして、お前に何が出来る? 男に守られていないと何も出来ない女がよ」
「…………」
「何の力も持たないお前に出来るのは、大人しく拘束されるか、権力者に泣きつくかだ」
ひらひらと逮捕状を揺らし、ジャンは嘲笑う。
今、エマに出来るのは少しでも時間を稼ぐことだけだ。もし、ハイネがモルス・メモリエを描き終えたら。もし、カミラの死に関する謎が解けたら……それが突破口になるかもしれない。
「……どうしてこんなことをしてまで、男爵は私にこだわるの?」
「あ? 目を付けた理由は知らねぇよ。けど、もうここまで来たら野放しには出来ねぇだろ」
実質、フレーベルとの関わりを認める発言だ。同時に、この状況はやはりコルネリウスによって作り出された茶番だということも否定しなかった。
もはや隠す必要はないと思っているのだろう。エマが何を言っても、世間は信じない。地位も名誉もあるコルネリウスの言葉こそが正とされるだけなのだから。
「エマ・ブラント、お前は知りすぎた。知りすぎた人間を放っておいたら、何をしでかすか分かったもんじゃねぇ。だから二択なんだよ。忠誠を誓うか、独房にぶち込まれるか。これでも情けをかけられてるほうなんだぜ? お前がフレーベル家の末娘と仲良いからさぁ」
――ゾフィー。エマは心の中で友の名を呼んだ。カミラの納棺の日に見た、悲痛な顔を忘れられない。きっと彼女は、本心からエマの幸せを望んでくれていたのだ。
「さーァ、そろそろ決めろ。俺は忙しいんだよ」
「……触らないで」
腕を掴まれ、食い込む指に不快感を覚えて振り払おうとした。エマの言葉を聞き、ジャンの顔色が変わる。ひやりとした次の瞬間、視界が白く弾けた。
鈍い音と共に、頬が焼けるように痛む。あまりの衝撃に、身構えてもいなかったエマはいとも簡単に床へ叩き付けられた。その際にぶつかった来客用の椅子も、共に横転する。
「――……っ、う」
エマは床の上で呻きながら、じんと痛む頬を押さえた。ジャンによって横っ面を張り倒されたのだと理解するまで、少し時間を要した。口の中を切ったのか、血の味がする。
「てめぇ如きが拒否していい人間じゃねぇんだよ、俺は」
ジャンはエマの傍にしゃがみ込むと、胸ぐらを掴んで引っ張り上げる。間近に迫ったその瞳には、嗜虐性がありありと浮かんでいた。
「自分の状況分かってんのか? なぁ、独房にぶち込む前にここで遊んでやってもいいんだぜ」
ジャンは、エマを掴んでいるほうとは逆の手で折りたたみ式のナイフを取り出す。首筋に当てがわれた凶器は残酷なほどに冷たく鋭い。
いよいよエマは純粋な恐怖に震えた。それを見て、ジャンは悦んだ。
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