アトリエ
◆
小道に並んだ木々が、赤と黄の絵の具を何度も塗り重ねたかのように、見事に染まっている。
瞼を閉じても残る〝色〟を感じながら、澄んだ空気を胸一杯吸い込んだエマの足下に、一枚の葉が舞い落ちる。拾いあげて陽に透かしてみると、光が赤く滲み、眩しさに目を細めた。
形も、色も美しい葉だ。これを持ち帰って、栞にでもしてみようか――などと考えながら、エマは再び歩み始める。
ローシェンナの屋根を目指して。
「エマー!」
ぱあっと、内から湧き上がる歓喜を抑えることもせず、ハイネは顔を輝かせてエマを出迎えた。少々眩しすぎる笑顔に気圧されながらも、抱擁の挨拶を交わす。
ハイネはその正体をエマに知られてから何かが吹っ切れたのか、愛情を示すことに躊躇がなくなった。その甘やかしっぷりに戸惑うことも多いけれど、エマなりに精一杯、素直に受け止めているつもりだ。
「前に話してた絵が完成したんだ! ちょっと見てみてよ」
ハイネに手を引かれた先には、壁に立て掛けられた絵があった。彼の画廊に繋がる『アルカーヌムの扉』によく似た構図だが、その扉のデザインは見覚えのあるものだった。
「絵画の魔術、
筆で絵をノックをすると、絵の中の扉が軋むような音を立てて開く。扉の隙間から見えたのは、ファスベンダー薬店の二階、エマが暮らしている家の空き部屋だった。
「これで行き来ができるようになるの?」
「そう。ずっと心配だったんだ、女の子の一人暮らしだし……これで、何かあったらすぐに駆けつけられる」
ハイネは機嫌良くそう話しながら、アトリエの中央に置いたイーゼルの前に座った。そこには、制作途中の絵が固定されている。
「もう一枚、同じのを描けばエマの家からもこのアトリエに来られるよ」
油絵用の木製パレットに絵の具を垂らして、筆を乗せた。エマは椅子に座って頬杖をつき、ハイネが絵を描く背中を眺める。この時間がとても好きだった。
魔術でさっと完成させることも出来るが、最近はゆっくり描きたい気分らしい。
「便利になるわね。ここへ来る道も、気に入ってたんだけど……」
「なら、今度散歩でもしようか。あの道の絵も描いてみたいし――って」
ハイネは話の途中で何かを思い出したように、がっくりと項垂れた。
「あぁ……思い出した。好きな絵ばかり描いてないで、
死神との契約。つまり、今までにハイネが描いてきたモルス・メモリエの浄化。ひとまず、エマに命じられている仕事はそれだ。そして、浄化するためにはハイネの力が必要だった。
エマは死者と意識を通わせることは出来るが、それを形にする
「まだ良いんじゃない? 死神も、まだ何も言ってきてないし」
「悠長だなぁ、エマは……」
「私にとっては、結構良い契約だったのよ。きっと死神は、よほど私の力が欲しかったのね」
ふふっと笑うエマに、ハイネはほんの少し不服そうにしていたが、何も言わなかった。契約の件は散々話し合った末に――ふたりで守っていこうと、決めたからだろう。
「まぁ、いいや。それより今は、エマの誕生日のほうが大事だし」
十七回分祝うんだと、ハイネは何日も前から意気込んでいる。エマの誕生日、成人を迎える日は、明日に迫っていた。
エマの誕生日は即ち、母であるエミリアの命日でもある。そのことで、ハイネが苦しむのではないかと心配するエマに、彼は言ったのだ。
――大事な娘が生まれた日なんだ。そんな時に悲しんでいたら、エミリアに怒られるよ。
エマは顔を上げて、絵を描き進めるハイネに視線を戻した。
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