警鐘
フレーベル邸のエントランスは、外観と同様に異国の宮殿を思わせた。
白黒の幾何学模様が美しいフロアタイルに、アーチ状の天井。対して柱は直線的で、上端部には葉を模した装飾が施されている。確かこの特徴は、バルドメロ=ペドラサが生み出したペドラサ様式だ。
ハイネの画廊で観た、彼のモルス・メモリエを思い出す。あの柱の装飾が何の葉なのか、バルドメロは明かすことなくこの世を去り、当時の人々は色んな憶測を並べ立てていたらしい。しかし、今のエマには分かる。きっとあれは林檎の葉なのだ。
「さ、何から見たい? 一階の奥には珍しい石像がたくさん並んでるし、食堂にある大きなマントルピースも見応えがあると思うわ! あと二階には色んな画家の絵が飾られてるのと……あっ、壁掛けの彫刻とかもっ」
ゾフィーは嬉しそうに提案してくれるが、エマはとにかく邸宅の中で何らかの手がかりを掴めればそれで良かった。ただ、それでも『絵』というワードにはつい反応してしまう。
「全部気になるけど……まずは絵が観てみたいわ」
「絵ね! じゃあこっちよ」
エマとゾフィーが移動すると、少し距離をあけて使用人もついてくる。エマは妙に落ち着かない気持ちになるが、ゾフィーはこの家に来てすぐに慣れたのだろうか?
そういえば、ゾフィーがフレーベル家に引き取られてからしばらくの間、顔を合わせず手紙のやり取りだけを続けていた時期があった。習いごとで忙しいのだと当時の手紙には書かれていたが、今思えば忙しさ以上の困難を彼女は味わっていたのだろう。
「ほら、この辺り!」
二階の廊下に案内されたエマは、壁に飾られた絵画の数々を目にした。
月明かりが落ちる夜の森、湖のほとりで遊ぶ精霊たち、暖炉の前で眠る子犬――
どれもこれも美しく、名高い画家によって生み出されたものだろうと思う。しかし、知り合い贔屓かもしれないが、エマはハイネの絵のほうが惹かれた。彼の絵には、見る者に激しく訴えかける何かがある。
「本当に美術館みたいね……」
「たくさんあるでしょ? 私のオススメは犬の絵! 可愛くって、観てるだけで癒やされるの」
ずらりと並んだ絵は、全部で何枚あるのかすぐには数え切れない。ひとつひとつじっくり鑑賞する時間はなさそうだ。ゆっくりと歩きながら眺めているうちに、とある絵が目にとまった。
美しい少女の絵だった。
歳はエマやゾフィーと同じくらいだろうか。亜麻色の長い髪を風に靡かせ、こちらに向かって太陽のような笑顔を向けている。シンプルながらも品を感じる白のドレスが良く似合っており、その細い両腕には大きな花束が抱えられていた。
「この女の子は、実在の人?」
「え?」
それまで笑みを絶やさなかったゾフィーが、微かに顔を強ばらせる。付き添いの使用人たちの間にも緊張が走るのを感じた。
「えっと……どうしてそう思ったの?」
「人物画がこれだけだったのと、他の絵よりも豪華な額縁だったから特別なのかなって」
「あ、あれ? もう一枚なかったっけ。あの湖のほとりで遊んでる絵……」
「あれは人のかたちをしているけど、精霊でしょ? ゾフィーが説明してくれたじゃない」
「あ、そっか! あはは」
ゾフィーの笑い声は、広い廊下でやけに響いた。
「ゾフィーも知ってる人なの?」
「う、うーん、知ってるっていうか……」
友人を困らせることに罪悪感はあったが、引き下がる気はなかった。エマの中の何かが、この絵に対して警鐘を鳴らしている。見逃してはならない。
知らなければならないと。
「――その子は」
とん、と。
エマの肩に大きな手が乗せられた。それだけで、ついさっきまで激しく鼓動していた心臓が凍り付き、重さを増して腹の底に沈んだように感じる。
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