胸騒ぎ
エマは、ゆっくりと深呼吸をしてから口を開いた。
「前に私、モルス・メモリエを誰に納品しているのかって聞いたわよね」
「うん、覚えてる」
「その相手が、死神……ということなの?」
「そうだよ」
あっさりとそう明かして、ハイネは苦笑する。今の彼にはそれが精一杯なのだろうと、エマにも伝わってくる。
「ごめんね。もっと早く話しておけば良かった。だけど、言えばエマに嫌われちゃうんじゃないかって思ってさ。あはは」
「嫌ったりしないわ。ハイネを嫌いになるわけない」
自分でも子どもじみた返答だと思ったけれど、それだけがハッキリと言えることだった。今は、理屈や道徳心に感情を踏みにじられたくない。難しいことも、後先を考えず、素直な感情をぶつけたかった。……そうしないと、この先ずっと後悔しそうで。
「……ありがとう」
ハイネは少し泣きそうな顔でそう言った。ただ、エマには何故か――その笑顔が、嬉しさからくるものではないような気がして、胸騒ぎを覚える。
本当は知りたい。ハイネは死神に何を願い、何を差し出したのか。
けれど、きっと言いたくないのだ。ハイネの表情が、態度が、そう物語っている。
「さぁ、座って。毛布を持ってくるから……手が冷えてるよ」
ハイネに促されて椅子に座ったものの、心は落ち着かないままだった。
「少し休憩したら、今日は早めに帰って休むんだ。いいね?」
「でも、体調が悪かったり、どこか痛むわけじゃないわ。それに、これからどうするかをまだ決められていないし……」
エマは相関図が描かれているメモに視線を落とした。
フレーベル家当主、コルネリウス。エマを養子として引き取ろうとし、フリーダの死の真相を隠し、彼女に恨まれていて――そして今、ゾフィーの養父である男。
「……ゾフィーが心配だわ」
「だけど、彼女は父親を慕っている様子だったんだろう?」
「えぇ。……嘘を付いてるようには、見えなかった」
――フレーベル男爵のことが大好きなのね。
――うん、大好き!
エマの問いかけに、満面の笑みでそう答えたゾフィー。養父に全幅の信頼を寄せているように見えた、彼女の態度。
「コルネリウスが、フリーダを追い詰めたことを猛省して心を入れ替えて……ゾフィーのことは本当に大切にしているのだったら、まだいいの。フリーダのことを隠しているのは許せないけど……でも、本当にそうなのかしら」
「まだ、ゾフィーに対しては本性を出していないだけっていうこともあり得るね」
ハイネは、毛布でせっせとエマをくるみながら言った。少し暑いくらいだが、今はこのぬくもりに身を任せていたかった。
「そうね……。そもそも、フリーダがコルネリウスを恨んでいることは確かだけど、どうしてなのか、理由は分からないままだわ」
そこを聞き出せたら良かったのに……とまで考えて、先ほど能力について釘を刺されたばかりだったことを思い出し、思考を中断した。
ハイネはエマの前からメモを取り、そこにフリーダの絵を描き足した。そしてコルネリウスに向かって矢印を引き、〝憎悪〟と走り書きする。
「とにかく、この男には気を付けてね、エマ。養子の話は……」
「もちろん、断るわ。元々そのつもりだったし」
「うん。でも、断り方にも気を付けて。何をしてくるか分からないから」
肩に手を置かれた時のことを思い出し、身震いしながら頷く。あの言いしれぬ忌避感は今でも鮮明に思い出せた。――思えばその頃から、フリーダの想いと少しずつリンクしていたのかもしれない。
「……どうしてコルネリウスは、私を養子にしたいのかしら」
「うーん」
ハイネは探偵のように顎に手をあてて、真剣に答えた。
「エマが……可愛いからじゃないかな?」
「………………ハイネ……」
「わーっ、そんな目で僕を見ないで! ふざけてないよ、本気だって! ていうかエマ、君、まだ自分のことを――」
大慌てのハイネを遮るように、エマはこほんと咳払いをする。
「違うの、今は別に謙遜したいわけじゃなくて。仮に私がコルネリウスが好む容姿をしていたとしても、養子にする理由にはならないでしょう」
「まぁ、一般的な感覚でいうとそうだね。でも……考えるだけで不快極まりないけど、そうは思わない人間もこの世にはいるだろう」
ハイネの言うことも、頭では理解出来る。それでも、あまりに真実味がないように思えた。
「今日はここまでにしよう。一度に色々考えすぎると、頭だって疲れるんだから」
ハイネはとにかくエマを休ませたいようで、有無を言わせず会話を切り上げる。観念して、エマは頷いた。
「そうだ、エマ、僕が渡したペンダントはまだちゃんと持ってる?」
「えぇ、持ってるわ。今日もつけてるのよ」
服の下に隠れていたペンダントを引っ張り出すと、ハイネは安心したように頷く。
「良かった。出来るだけ肌身離さずに持っててね。前にも説明したけど、危ない目に遭いそうになったら、そのペンダントを開けて僕の名前を呼ぶこと。いいね?」
「分かったわ。……だけどハイネ、これからもあなたを頼っていていいの? モルス・メモリエはもう完成したのに」
「……何を言うのかと思ったら。当たり前じゃないか。僕はヨーゼフ氏の死の真相を解き明かして、エマの身の安全が約束されるまで協力し続けるよ。僕はエマのことを、ただの客なんて思ってないからさ」
「ありがとう。落ち着いたら、何かお礼させてね」
エマの言葉に、ハイネは何も言わず、ただにこりと笑って見せた。
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