第6章 育ての母

カミラ・クルーガー





 郵便受けに入っていた手紙は、ゾフィーからのものだった。彼女の様子を探るためにエマが送った手紙への返事だ。探るといっても、第三者に監視されていることも想定すると、せいぜい茶会の感想と礼を述べ、あのあと変わりなく過ごしているかを尋ねるのが精一杯だった。


 ゾフィーからの返事には、相変わらず目まぐるしい日々を送っているものの、充実しているといった内容が書かれている。文字の上での彼女は、相変わらず幸せそうだ。


 もちろん、手紙などいくらでも嘘をつける。誰かに言われて書かされている可能性だってある。しかしゾフィーはエマの目の前で、義父への愛を見せたのだ。


 何度も読み返した手紙を持ったまま考え込むエマの耳に、湯が沸く音が飛び込んでくる。そういえば沸騰させていたのだったと、慌てて火を止めた。


 温度を確かめてから薬研やげんですりつぶした木の実や葉を鍋に入れ、かき混ぜる。そして医療用眼鏡ゴーグルとマスク、ゴム手袋を装着し、小瓶に入った真っ赤な液体を数滴足した。シューッという空気が漏れるような音と共に煙が立つ。あとは蓋をして冷まし、専用の容器に入れたら完成だ。


「……薬師の免許があれば、もっと本格的なものが作れるのに」


 愚痴をこぼしながら、眼鏡ゴーグルとマスクを外す。


 ――ヨーゼフが死んでから、独り言が増えた。もしハイネという話し相手がいなければ、もっと酷かったかもしれない。


 不意に、窓のほうから視線を感じた。目をやると、向かいの家の屋根にとまった鴉がこちらをじっと見ていた。


「また……」


 気味が悪くなって、買い換えたばかりの分厚いカーテンを閉める。前にも鴉に肝を冷やしたことがあった。あれからどうも鴉が苦手だ。


 ――一階でベルの音が鳴ったのは、それから暫くしてのことだった。参考書とペンを置き、エマは足音を立てないよう注意を払いながら階段を下りる。


 郵便は今朝届いたばかりだ。一体誰だろうかと、ドアスコープから外を覗く。そこに立っていたのは、エマにとって懐かしい顔だった。


「カミラ院長……!」


 薄紫のバレッタで後れ毛ひとつなくまとめた黒髪に、息苦しそうなほどにかっちりとボタンをとめたブラウス。藍色のスカートは無地で、ブーツの先しか見えないほどに長い。その格好は彼女の厳格な性格をよく現している。


「久しぶりね、エマ」


 驚いて扉を開けたエマに、カミラは女性にしては低い声で挨拶をした。切れ長の目は眼鏡の形状も相まって一層きつく見えるが、昔に比べると柔らかな光を湛えている。


「急に訪ねてごめんなさいね。近くまで来たものだから……。今、時間は大丈夫かしら」

「えぇ! 良かったらあがってください。お茶くらいなら出せますから」


 扉を大きくあけて中に入るよう促すと、カミラは少しだけ目を見開いた。


「カミラ院長?」

「……いえ、何でもないわ。お邪魔するわね」


 ――カミラ・クルーガー。エマやゾフィーが育ったクルーガー孤児院の院長を務める女性だ。齢は五十近いが、すらりと高い身長や皺の少ない顔によって十は若く見える。


 エマたち孤児にとっては育ての母だ。厳しくも優しい――……と言いたいところだが、孤児たちに対しては少し厳しすぎるともいえる人で、ゾフィーを始めとした殆どの子どもたちは彼女を少し苦手としていた。


 ただ、エマから見たカミラは、どこかぎこちない人だった。


 何十年も孤児院の院長を務め、子どもの扱いには充分慣れているはずなのに、何故か取り繕ったような態度で子どもと接する。そんな人。


 そう感じていたのはおそらくエマだけだったので、誰にも話したことはないけれど。


「カミラ院長、ハーブティーでもいいですか? ちょうど良い葉が手に入ったんです」

「えぇ、いただくわ。それよりエマ、まだ私のことを院長と呼んでいるの?」


 そう指摘されて、しまったと思う。孤児院を出たら、院長という呼び方はやめるように言われていたのだった。


「そ、そうでした。……カミラさん」

「よろしい」


 エマがヨーゼフに引き取られてから何度か、カミラはこの店を訪れていた。孤児を引き取った里親とは、日を置きつつ何度か面会することが院の決まりらしい。その時にも注意されたのに、長年の癖というのはなかなか抜けないものだ。

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