心配
一階には店で使っていた椅子やカウンター、そして薬品を並べていた棚くらいしか無かったので、エマはカミラを二階へ案内することにした。
ハーブティーを音もなく口に含み、カミラはカップの底をじっと眺める。
「美味しいわ。少し独特な味だけれど」
「良かった。先生に教えてもらった淹れ方なんです」
「そう……ファスベンダー先生が」
スクエア型の眼鏡の奥で、セピアの瞳が陰った。
「葬儀に参列出来なかったこと、悪かったわね」
「そんな、気にしないで下さい。孤児院の子たちの間で感染症が流行っていたんですよね」
大人には感染しない類いの病だったらしいが、もしヨーゼフが生きていたなら、子どもたちの看病をなによりも優先するように言っていたはずだ。
「もしカミラさんが子どもたちを置いてこようものなら、先生に天国から怒鳴られますよ」
その様子を想像すると、自然と笑みが浮かぶ。ヨーゼフは普段寡黙だが、起こったら饒舌になる人だった。患者が薬の用法を守っていなかったり、自分の忠告を無視して不摂生をしたと知れば、雷のような叱責を飛ばすのだ。
ふと視線を感じて顔を上げると、カミラは黙ってエマを見つめていた。
「? カミラさん?」
「――自然と笑えるようになったのね、エマ」
その声色には、驚きと安堵が入り交じっている。
「少し安心したわ。ファスベンダー先生が亡くなって、あなたが塞ぎ込んでしまっているんじゃないかと気になっていたから」
「それは……確かに最初はそうでした。突然のことで、受け入れがたくて……多分、捜査や葬儀の間もずっと茫然としていて。今も、先生の部屋に入ったら息苦しく感じます」
ヨーゼフの部屋。つまり、彼が息絶えていた部屋。あの時の光景は、何度もフラッシュバックしてエマを苦しめていた。しかし――
「でも、周りの人たちのお陰で立ち直ることが出来ました」
葬儀の時、ひとり立ち尽くすエマの手を優しく握ってくれたゾフィー。ヨーゼフの死に真剣に向き合い、謎を解き明かそうとしてくれたフィリックス。そして――ハイネ。
「そう……。そのうちの一人はゾフィーね? あなたたち、仲が良かったから」
「はい、最近会いました。大変そうだけど、元気に過ごしているみたいです」
カミラには変に心配を掛けるべきではないと判断して、そう言うだけに留めた。カミラは「良かったわ」と呟き、ティーカップを置く。そしてふと、部屋を軽く見回した。
「今も、薬草を育てているの? ミントのような香りがするわ」
「えぇ。部屋で育てられる種類には限りがあるので、たまにハーブ畑にも摘みに行って、洗剤や入浴剤として使ってるんです」
「そこは昔と変わらないのね」
珍しくクスリと笑ったカミラの視線が、今度は窓に吸い寄せられる。
「あら、昼間なのにカーテンを閉めているのね」
「あ……一人暮らしをするようになって、色々気を付けようと思って」
「そうね、その方が良いわ。この辺りを巡回している傭兵団も、あまり当てにならないし」
「いえ、そんなこと! ……えっと……中には頼りになる人も、います」
思わず大きな声を出してしまって、後半は慌ててボリュームを抑えた。カミラも驚いたようで、目をしばたたかせている。
「知り合いでもいるの?」
「先生が亡くなった時、お世話になった人が……」
「そうだったの。恋人?」
「ち、違います」
すました顔で尋ねるカミラとは対象的に、エマは妙な汗をかいていた。何故、話がいきなり恋人にまで飛躍したのかが分からず、しどろもどろになってしまう。
「出会って間もない人ですし、そんなわけ……それに、そういう弱っているときに優しくされると、必要以上に好意的になってしまうのって、吊り橋効果……でしたっけ? 自分の感情を錯覚しやすいと本で読んだことが……」
「…………なるほどね」
カミラが表情ひとつ変えないので、エマは恥ずかしくて死んでしまいそうだった。何とか話題を変えようと、置きっぱなしにしていた参考書を手にとって見せる。
「そ、それより、私、薬師の資格を取ろうと思ってるんです」
「薬師の資格? 難しい試験に挑戦するのね」
「はい、でも頑張ってみようと思って。先生の特訓も受けたし……」
今思えば、ヨーゼフは自分がいなくなった時のことも考えて、エマを早く一人前に育てようとしてくれていたのではないか――という気がする。あの事件がなかったとしても、年老いたヨーゼフがいつまでもエマの面倒を見ることは出来ない。
だからこそエマは、早く薬師の資格を取って、恩師に安心してもらいたかった。
「そうね。応援してるわ」
「ありがとうございます」
カミラはティーカップを傾けて最後まで飲み干すと、何かを決心したようにエマを真っ直ぐに見据える。
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