とある願い、とある犠牲
◆
あたたかい。優しく髪を撫でられている。それだけで、安心する。もう暫くこうしていたかったけれど、そうもいかないだろう。
まどろみから目を覚ますと、そこにはハイネの顔があった。エマの頭が床につかないよう、膝の上で抱きかかえてくれているようだ。目が合うと、窓から差し込む光に溶けるような微笑みを浮かべる。
儚いほどに美しい、小さな魔術師。
「――フリーダの声が聞こえたの」
声は、少し掠れていた。
「あの男を許さないって。そのあと、気が遠くなって……ごめんなさい、死者の声は聞くなって、忠告してくれていたのに」
「謝らないで。あれは防げるものじゃなかった」
ハイネはエマの頬に触れた。まるで壊れ物を扱うかのように、優しく。
……今にも壊れそうな顔をしているのは、ハイネのほうなのに。
「フリーダの無念が膨らんで、暴走して、エマの体に入り込んでしまった」
「……フリーダ本人の意識、というわけではないのね」
「そう。彼女がこの世に残した、ただの呪いの残滓だ」
ただの呪いの残滓。そう割り切ってしまうには、あまりにリアルな感覚がエマの中には残っていた。
ハイネは、悲痛な面持ちで続ける。
「エマ……君は僕が思っていた以上に、死者の声に触れる力がある。ヨーゼフ氏の声を聞いてしまったのを皮切りに、どんどん力が強くなってる」
「それって――」
エマは起き上がって、ハイネに向き直った。二人で床の上に座る形になったけれど、気にはしなかった。
「私の、この力って……魔術なの?」
――魔術。この世に存在する神秘の力。
魔術師の中には、子どもの頃からその力を自在に操る者もいれば、大人になって才能を開花させる者も存在するという。
エマは、自分が〝死者の声を聞ける〟という魔術に目覚めたのではないかと考えた。
もしも、この力を自分でコントロール出来るようになれば――ハイネの絵で死者の無念を視て、エマの耳で死者の声を聞く。そんなことが可能になるだろう。ふたつの情報が合わされば、より早く、確実に真相へと近付くことが出来るはずだ。
けれどハイネは以前、死者の声を聞けばエマまで〝引きずられてしまう〟と警告した。
「……分からない。死に関する力は特殊だから」
ハイネにしては珍しく歯切れが悪い回答だ。思えば、エマが初めて死者の声を聞いたと告白した時も様子がおかしかった。
「特殊? でも、ハイネだって死者の無念を絵にする魔術が使えるでしょう」
「僕のあの力は……あの力に限っては、厳密にいうと魔術じゃない」
そう説明するハイネの声からは、固さを感じる。
「魔術じゃない……? じゃあ、何なの?」
「特に決まった名前はないよ。でも……そうだな。黒魔術みたいなもの、って言ったら伝わるかな」
黒魔術。そう呼ばれるような力が実在することを、エマは今初めて知った。魔術の本にも書いていなかった。聞いたことがあるのは、そう、おとぎ話の中だけだ。
知識なんて無い。けれど、どこまでも不穏な響きが頭の中にこだまする。
「……そんな力を使って、ハイネに何か……悪い影響はないの?」
心臓がうるさく音を立てる。もしかして、エマはハイネに何らかの犠牲を払わせてしまっていたのではないかと、恐ろしい想像が過ぎった。
「ううん、モルス・メモリエを描くたびに何かが起こってるってことはないよ」
ハイネは立ち上がりながらそう言って、エマに向かって手を差し出した。安堵しながらその手を取ると、思わぬ力で引き上げられる。
「だけど僕は昔、死神と契約した」
ハイネに引き寄せられたエマを待っていたのは、そんな一言だった。息をすることも忘れ、エマは間近に迫ったシアンの光をただ見つめる。
「僕は、とある願いを叶え、とある犠牲を払った。この力は、死神との契約の一部だ。ここまで言えば、死に関する力が恐ろしいものだと分かってくれるかい?」
「…………」
ふたりの間に、重い静寂が訪れる。
黒魔術や死神だなんて、まるで実感が沸かない話だ。けれど、ハイネの力こそがそれらの存在に説得力を持たせている。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます