もうひとりの傭兵
「わかった。ではあまり遅くならないように――」
「センパーイ、もう巡回終わりましょうよ。そろそろ時間っすよ」
気だるそうな声に、フィリックスの言葉は遮られた。大通りに続く道からもうひとりの男が姿を現す。その男のこともエマは知っていたが、フィリックスとは違い、この町でもっとも会いたくない人間だといっても過言ではない。
「お。よぉ、エマじゃないか。この度はご愁傷様で」
フィリックスと同じくヴォルフガング傭兵団に所属する青年、ジャン・バシュレ。もともとはリンベルクよりずっと西の地方の出身で、発音にも若干の訛りが残る。漆黒の髪を持つフィリックスに対し、ジャンは鮮やかな赤髪。彼らは外見だけでなく、性格も対象的だった。故に、団長のハンスはジャンを気に入っているらしい
「……ご丁寧に、どうも」
エマの言い方が気に入らなかったのか、ジャンは目を眇めて舌打ちをする。
「なんだ、相変わらず愛想の無い。そんなだから、あのじいさんにも可愛がられなかったんだ。あのフレーベル家に行った孤児のような振る舞いを少しは身につけたらどうだ?」
「ジャン、いい加減にしろ」
部下の無礼な物言いに耐えかねて、フィリックスはジャンの肩を強く掴んだ。それでも、ジャンは反省の色を見せることなく続ける。
「やだなセンパイ、俺は心配してるんすよ。この女は誰にも愛されないまま、寂しく年老いて死んじまうんじゃないかってね」
「……ジャン、おまえ……」
「だってホラ、この女は赤ん坊のころ親にも捨てられて――……」
行き過ぎた暴言に、黄金の目がカッと見開かれた。エマはフィリックスの拳に力が籠もるのを見て、鋭く息を呑む。しかしその拳が動くより先に、何らかの鈍い音が響いた。
「ゔっ」
短い呻きと共に、ジャンは前傾姿勢で一瞬硬直する。彼の前には、ハイネが片足を軽く上げた状態で立っていて――
「ごめんね……おにーさん。小石を蹴ろうとして、間違えちゃった」
腐敗した生ゴミを見るような目で、崩れ落ちたジャンを睨み付けていた。
エマは何が起こったのか遅れて理解したものの、心から同情出来るほどその痛みについて理解が深いわけではなかった。
地面に四つん這いになり、苦しげに呻く部下をフィリックスは唖然と眺めていたが、我に返ってエマに謝罪した。
「……部下の無礼な発言、心から謝罪する。あとで厳しく指導しておく」
「あ、い、いえ……その、こちらこそこの子が……」
「いや、小石と間違えたのなら仕方ない」
フィリックスが真顔でそう言い切るので、エマは曖昧に頷くことしか出来なかった。その間も、ハイネはつんとそっぽを向いたままだ。
「では、我々は本部に戻る。行くぞ、ジャン」
「グッ……くそ、ガキ……あがっ、痛っ」
口汚く罵ろうとしたジャンだったが、それより先にフィリックスによって首根っこを掴まれ、ズルズル引きずられていった。遠く離れてからも抗議の声は聞こえ、フィリックスの容赦のなさが窺い知れる。
二人の姿が消えても、ハイネはまだ息巻いていた。
「あの胸くそ悪い男は一体何なんだ? どうしてエマにあんなことを!」
「あぁ……前に私、彼の誘いを断ったの。きっとそれが気に入らなかったのよ」
「何だって?」
ハイネはぐるりと振り返ってエマを見た。その素早い反応に思わずぎょっとする。
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