繋いだ手
「あの男が君を誘った?」
「え、えぇ」
今からひと月ほど前だっただろうか。エマは市場の片隅で、ジャンに声を掛けられた。
ジャンは自分がヴォルフガング傭兵団の所属であることや、高貴な生まれであることを蕩々と語ったあと、エマの腰を抱き、酒場に行こうと誘った。未成年であると主張してもジャンは引かず、エマはついに「あなたにこれ以上時間を割きたくない」とばっさり切り捨てたのだ。
ジャンは顔を真っ赤にしてエマを罵倒した。他に女がいなかったから声を掛けただけなのに、地味女が思い上がるなと。
「あいつがエマを……信じられない」
ハイネは頭を振り、声を微かに震わせる。その反応にはエマも同意を示した。
「私も、初めはどうして私なんかにって驚いたわ。だけど他に女性がいなかったからって……つまり、誰でも良かったのね」
「――、……違うよエマ。僕が信じられないって言ったのは、あんな男が君を誘うなんて身の程知らずだって意味だ」
「……そうなの?」
ハイネが何故悲しげにそう言ったのか、エマには理解が出来なかった。理解が出来ないといえば、フィリックスに対する態度もそうだ。
「そう言えばハイネ、どうしてフィリックスに対してもあんな態度だったの? 彼は何もしていないでしょう」
「あぁ、あれはエマに悪い虫が寄りつかないように警戒していただけだよ」
けろりとそう明かされるが、エマは聞き違いかと耳を疑った。
「悪い虫ですって? フィリックスが?」
フィリックスの人柄は、悪い虫という言葉からはあまりにもかけ離れている。エマのことにしても、ハイネは色々と勘違いをしているような気がしてならなかった。
「そうさ。そういう意味ではあの屑野郎よりも、何ていうか……いや、辞めておこう。言霊になってしまってはいけないからね」
ハイネは先ほどから真剣にその話をしているが、もし仮にフィリックスが本当に『悪い虫』だったとして、彼に何の不利益があるというのか。ただ純粋に心配してくれているだけなのか――それにしても、ハイネの言動には違和感を覚える。
ジャンに対してもそうだ。いくら親交が深まってきたとはいえ、まだ出会って間もない人間を庇うためにあんなことまでするだろうか? 下手をすれば、仕返しをされてしまう危険性だってあったのだ。
「それよりエマ。あんなやつの言葉、気にする価値もないからね」
ハイネの声で、エマは思考を中断した。そうだ、ハイネは何かしらの意図があるにせよ、エマのために怒ってくれたのだ。そんな彼に対して、疑うよりも先に伝えるべき言葉があった。
「えぇ、大丈夫よ。ありがとう、ハイネ」
そう、何も問題はない。ジャンはエマの心を傷つけることは出来なかった。
だって、彼は確かに無礼だが、その言葉は何も間違ってはいない。エマにとって、当たり前の事実を突きつけられただけなのだから。
「さ、行こうエマ」
ハイネはおもむろにエマの手を取り歩き始める。突然のことに驚くが、今はこの奇妙な魔術師に身を任せようと思った。一回り小さいはずのハイネの手は、繋いでみると不思議なほどに大きく感じられた。
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