第3章 愛された子

可憐な令嬢

 木のトンネルを抜け、見慣れた街並みが目の前に広がったところで、エマはようやくホッと息を吐いた。ハイネを疑うわけではなかったが、見知らぬ道を歩くのはやはり心細い。


 ローシェンナの屋根の家――ハイネのアトリエがどこに位置しているのか、頭の中で地図を描こうとしても出来なかった。振り返っても、今抜けてきた筈の木のトンネルなどどこにもない。それどころか、石積みの壁で行き止まりになっているのだ。


 不意に強い風が吹き、エマは考えるのを辞めて、ストールを掻き合わせながら家路を急いだ。





 地元の人々から『天の涙』とも呼ばれる美しいゼーレ川に隣接した町、リンベルク。


 中央広場から広がる石畳の道や、温かみを感じさせる木組みの家屋は、古き良き村らしい風情がある。シンボルといえば、古城のような外観デザインの図書館、北西部に広がる自然のハーブ畑、あとはゼーレ川に掛かった石造りのアーチ橋あたりだろうか。


 エマが暮らしているのは、ゼーレ川にほど近いリンベルクの東側。人通りが少なく静かで、商売に向いているとは言えない場所だ。それでも、ファスベンダー薬店は古くからの常連を中心に支えられ、客足が途絶えることはなかった。


 店主のヨーゼフが、この世を去るまでは。


 ポケットから鍵を取り出し、玄関を開けようとしていると、誰かに呼び止められた。


「エマ!」


 美しく澄んだ声を弾ませ、その少女はエマに向かって駆けてきた。


 上質なゴート山羊のケープコートに、秋桜の刺繍が施されたフレアラインのブラウンワンピース。淡く透き通った金色の髪を靡かせるその姿は、可憐という言葉がよく似合う。


 形の良い目鼻に、くるりと上を向いた長い睫毛。少し下がり気味の眉は、見る者の庇護欲をかき立てる。どこを取っても欠点のないその顔にはうっすらと上品な化粧が施されており、彼女の美しさを一層引き立たせていた。


 多くの人が初めに抱く印象通り、彼女――ゾフィー・フォン・フレーベルは裕福な家の令嬢だ。ただし、その家系の正統な血を引いているわけではない。ゾフィーはエマと同じ孤児院育ちであり、フレーベル家には養子として引き取られたのだ。

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