大きな間違い



 この家に一人で暮らしているみたいだし、と続けようとして、エマは言葉を飲み込んだ。死者の絵を集めているような子だ。何か事情があるのだろうし、それについて聞かれるのは不快に思うかもしれない。


 しかしハイネは、子ども扱いのほうがよほどショックだったのか「でも……だって……」をブツブツと繰り返し、いじけている。その様子に、エマは思わずくすりと笑った。


「まぁ、私も年齢的にはまだ子どもだけどね。でも、今年成人するし、あなたよりはお姉さんよ。だから、大丈夫」

「……うん……」

「あ、そうだわ」


 力なく返事をするハイネの傍ら、エマは重要なことを思い出した。これが解決しなければ、エマは一人で帰ることが出来ない。


「私、ここに来るまでの道を覚えていないの。初めての道なのに、迷うことはなくて……これもあなたの魔術なの? 帰りも上手くいくかしら」

「あーそれはね……僕が送った手紙、まだ持ってる?」


 頷いて、スカートのポケットに折りたたんで入れておいた便せんを取り出し、広げてみせる。ハイネはそれをのぞき込み、家の絵を指差した。


「この絵が君を導いてくれるよ。行きも帰りもね」

「これが……」

「逆にこの絵を持たない人間は、僕のアトリエに辿り着くことが出来ない。本当にモルス・メモリエを求める人としか、交渉しないようにしているんだ」

「なら、大事に持っておかないとね」


 エマは手紙をしまうと、椅子の背に畳んで掛けていた厚手のストールを羽織り、玄関の扉を開けた。冷たい外気に触れ、思わず身を竦める。


 ハイネは、せめて見送ってくれようとしているのか、しょんぼりとした様子でエマの後に続いていた。カンヴァスの前に立っていた時は嵐に立ち向かう戦士のような勇ましさだったというのに、今の姿は母親に怒られた子を彷彿とさせる。


「――ハイネ」

「……うん?」

「私たち、今日初めて会ったでしょう? それなのに、優しくしてくれてありがとう」


 ずっと不思議だった。このアトリエを訪れた時から、ハイネは常にエマを気遣ってくれていた。エマの過去に心を痛め、寄り添ってくれた。


 初めて会った人間に対し、そんな風に接する人を、少なくともエマは知らない。


「……どういたしまして」


 ハイネがニコリと笑うのを見て、エマも口角を上げる。


「じゃあ、また二、三日後に」






 ――立ち去るエマの背中を、ハイネはじっと見送っていた。


 木立の隙間から零れる夕日を受け、オリーブグリーンの髪が煌めく。さながら名画の世界に迷いこんだかのような感覚に溺れながら、魔術師は両手で顔を覆った。


「僕がエマに優しい、だって?」


 吐き捨てるように呟いたハイネの言葉は、景色の中にとけてゆく少女には届かない。


「あぁ、エマ。それは……


 指の隙間から覗くシアンの両眼からは、少年らしさの一切が消えてなくなっていた。

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