第5章 呪いのモルス・メモリエ
事故
リンベルクのシンボルでもある、リンベルク図書館は町の中心部に位置している。
三階建ての内部には所狭しと資料や書籍が敷き詰められ、町の外からも大勢の客が連日訪れているという。壁際に並んだ机には一定間隔をおいて仕切りが立てられ、調べ物や読書に集中出来る環境が整っていた。
本好きのエマにとってはまさに聖地といっていい場所。ヨーゼフの店が休みの時は、よくここへ足を運んでいた。
そこで今、エマは本ではなく新聞を読み漁っている。
――フレーベル邸から帰宅した夜は、何とか入浴をして化粧を落とし、髪を乾かすのもほどほどにベッドに倒れ込んだ。そのあとは泥のように眠ってしまった。
翌日はハイネのアトリエを訪ねた。エマの顔を見て安堵した様子の彼に、邸宅での出来事を話した。主に、若くして命を落としたというフレーベル家の令嬢、フリーダについてだ。
彼女の死が、ヨーゼフのモルス・メモリエが直接的に関係しているとは思えない。しかし、今はどんな些細なことであっても知る必要がある。ハイネも、エマと同じ考えだった。
「フリーダ・フレーベルのモルス・メモリエを描いてみよう」
エマが提案するまでもなく、すぐに彼はそう決断を下したのだ。
モルス・メモリエを描くには、死者に関する情報が必要だ。ヨーゼフの時はエマの話で事足りたようだったが、フリーダの場合はそうもいかない。彼女に関する情報は、コルネリウスが引き取った初めての孤児であり、成人になる歳に命を落としたということだけ。
だからエマは図書館を訪れ、数時間にわたって新聞の小さな文字に目を走らせているのだ。一般的な人間ならば音を上げるような作業も、エマにとっては苦にならない。
実はハイネも図書館に来たがっていたのだが、別の用事が出来たために叶わず、しょんぼりしていた。彼も本が好きなようだし、帰りに何か借りて帰るのも良いかもしれない。
――などと考えている間にも、何部もの新聞を読み進めていたエマの目に、とある文章が飛び込んできた。
「これね」
思わず呟き、その記事に注目する。
十八年前。フレーベル家の令嬢フリーダが、邸宅のバルコニーから転落して死亡した。目撃者の庭師によると、フリーダは木に留まった小鳥に触れようと身を乗り出し、そのままバランスを崩したという。
高さはさほどでもなかったが、落下した場所が悪かった。フリーダの身体は中庭に鎮座していた女神の石像に強く打ち付けられ、激しく損傷。見ていた庭師も、生存の希望を一瞬で失うほどだったという。
「……可哀想に」
絵の中で微笑んでいた美しい少女が、このような死に方をしたなんて胸が痛む。
それにしても、あのフレーベル家で起きた死亡事件だというのに、あまり大きく取り扱われていないようだ。少し不自然に感じてもう少し目を凝らしていると、記事の隅に小さな文章に気付いた。
『初版で掲載した記事については、情報提供者の虚言によるものと判明しました。撤回し、お詫び申し上げます』
今、エマが読んでいる新聞の上部には第二版と書かれている。エマは暫く考え込んだあと、机の上を片付けてから司書に声を掛けた。
「こんにちは」
「あら、こんにちは」
髪を引っ詰めた司書マヌエラは、スクエア型のメガネを掛け直しながら応じた。この図書館の常連であるエマは、彼女に顔と名前を覚えられている。
「この新聞の初版は置いていますか?」
「新聞? 珍しいわね」
「ちょっと調べ物がしたくて」
ふうん、と相槌を打ちながら、マヌエラは分厚い帳面を取りだし調べ始めた。この図書館で管理されている書物の位置などが記載されているものだ。
マヌエラは長い時間を掛けて調べたのち「あー、そういうことね」と意味ありげに呟く。
「初版は禁書庫行きになってるわ」
「禁書庫……そんなものがあるんですか?」
「えぇ。発行禁止処分になったものが保管されている棚よ。許可がないと閲覧出来ないわ」
メガネの奥から、窺うような視線を投げかけられる。つまり、閲覧したい正統な理由を言えるか? と聞かれているのだ。
困った。正統な理由など言える筈がない。死者の情報を集めているんです、だなんて――
「あれぇ、その新聞……前にも初版の在りかを聞いてきた人がいましたよぉ」
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