ペンダントに込められたもの



 ゾフィーがフレーベル家に引き取られたばかりの頃ということは、手紙でやり取りしていた時期だろう。友人がそこまで思い詰めていたことに、当時のエマは気付かなかった。手紙の中の彼女から忙しさは伝わってきたものの、苦悩までは感じ取れなかったのだ。


 手紙ではなく、直接会いたいと思ったことは何度もあった。なのにそうしなかったのは、忙しいのに邪魔してはいけないという自制心もあったし、何より名家の令嬢となったゾフィーに、孤児である自分が「会いたい」と申し出て良いものか――気後れしていた。だからゾフィーのほうから数年ぶりに会おうと連絡してくるまで、エマは自ら彼女と顔を合わせようとしなかった。そんな自分の意気地のなさを、今になって後悔する。


「だけどそんな時、お父様がこの手鏡をプレゼントしてくれて言ったの。『私は、おまえの笑顔が見たい。おまえの笑顔がどんなに魅力的か、その鏡で見てみなさい』って!」


 頬を淡い薔薇色に染め、ゾフィーの笑顔が華やかに咲く。


「それから私、鏡に向かって泣くんじゃなくて、笑いかけるようになったの。私は笑顔でいることで、お父様の理想の娘になれるんだって思うと嬉しくて」

「そう……フレーベル男爵のことが大好きなのね」

「うん、大好き!」


 鮮烈なまでに眩しいその笑顔は、部屋に漂う甘い香りと共に、エマの印象に強く残った。




――――……




「ではエマ、気を付けてね」

「すみません、帰りまで馬車を付けてもらって」

「当然のことだよ。夜に女の子をひとりで返すわけにはいかないからね」


 行きと同じ馬車に乗り込み、エマはフレーベル親子と別れの挨拶を交わしていた。昼過ぎにここを訪れ、今ではもうすっかり夜の帳が下りている。


「今日はありがとうございました。とても楽しかったです」

「それは何よりだ。……にしてもエマ、前と少し雰囲気が変わったね」

「あ、それ私も思ってた!」


 父の言葉に、ゾフィーも何度も頷いて同調する。


「え、そうですか?」


 思いがけない指摘に驚いていると、コルネリウスは自分の胸元を指さして、にこりと笑った。


「もしかして、そのペンダントを贈ってくれた人のお陰かな? 表情がとても柔らかくなったよ」


 ハッと息を飲み、ペンダントを握りしめる。これを手渡された時のことを思い出した。


 ――気を付けて、という言葉よりも、浮かんだ表情に彼の深い憂慮が表れていて。

 ずっと握りしめていたらしいペンダントからは、温もりを感じた。


 ハイネが掛けたという魔術が発動することはなかったけれど、それ以上の何かが、エマを守ってくれていた気がする。


 エマは、コルネリウスを真っ直ぐに見据えて答えた。


「はい、そうです」

「…………」


 コルネリウスは微笑みこそ絶やさなかったものの、何もコメントすることはなかった。代わりに、ゾフィーの悲鳴じみた声が響く。


「えっ……嘘。エマ、そういう人がいるの?! ちょっと、私聞いてな――」

「すみません、出して下さい」


 エマは急いで御者に声を掛ける。このペンダントについて、詳しく答えるわけにはいかない。間もなく馬のいななきが聞こえ、馬車が動き出した。


 待ってよ――!! と叫ぶ友人の声と、彼女の父に見送られ、エマはフレーベル家の大邸宅を後にした。





 こうして、二度目のお茶会は終わりを告げた。


 ――収穫は、あったとみていいだろう。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る