第2章 満月の夜、少女の記憶
少女の過去
エマは孤児院で育った。子どもの頃から、良く言えば落ち着いた、悪く言えば可愛げがないと周囲に評されていたエマは、長い間里親に恵まれなかった。
孤児院の中でも最年長の十二歳になったエマの趣味は、本を読むことだった。理由はエマ自身にも分からなかったが、特に薬草について書かれた図鑑や資料に惹かれた。
ある日、エマがいつものように孤児院の図書室で本を読み漁っていると、いつの間にか背後に老人が立っていた。その老人こそが、後にエマを引き取ったヨーゼフ・ファスベンダー。リンベルクの町で働く
年老いたヨーゼフは『子』ではなく、自分の店を継がせる『弟子』が欲しかったのだろうとリンベルクの人々は噂した。
実際、ヨーゼフのエマに対する接し方はどこまでも事務的だった。薬屋を営んでいたヨーゼフは簡単な仕事をエマに任せ、口を開けば作業の進捗を確認したり、ミスがあれば叱責するばかり。休みの日には山へ出かけて薬草を摘み、保管方法や効能を教わりながら帰宅し、次の日にはテストをする。そんな日々の中、ふたりの間に親子らしい会話などなかった。
それでも、エマにとってヨーゼフは、この世界でたったひとりの『家族』だった。
エマに居場所を与えてくれ、いつか薬師になるために勉強させてくれた。
エマはヨーゼフに出会って初めて、自分の未来図をえがく事が出来たのだ。
――満月の綺麗な夜だった。
ヨーゼフに頼まれた薬を買うため隣町まで出かけたエマは、紙袋を抱えてファスベンダー薬店へと急いでいた。
ファスベンダー薬店はヨーゼフが営む小さな店だ。一階が店舗、二階が住居スペースとなっており、そこにヨーゼフとエマは二人で暮らしていた。
「先生、ただいま戻りました」
店舗の奥にある階段を上りつつ、エマはヨーゼフの姿を捜した。この時間なら大抵、店舗に残って作業をしているか、部屋で本を読んでいるかだ。店舗には姿が無く、ヨーゼフの自室からは灯りが漏れていたので、今日は後者のほうなのだろう。
いつもなら読書の邪魔をしないよう配慮するところだが、エマは構わずノックした。ヨーゼフに頼まれた薬は、急ぎで必要だと言われていたからだ。
「先生?」
返事は無かった。ヨーゼフは、最近耳が遠くなったとぼやいていた。そのせいだろうかと、エマはもう一度大きな声で呼んでみたが結果は同じ。さすがに心配になり、扉を開けた。
――そして、見た。
ヨーゼフが、胸を掻きむしるような格好で床に倒れている姿を。
エマの手から紙袋が落ち、中から薬に使う薬草の束が幾つか飛び出て床に散らばった。ちょうどランプのオイルが切れ、まるでもう必要ないだろうと言いたげに、その灯りを消した。部屋が暗くなって、そして――……
「そこからは、あまり詳しくは覚えていないわ。ヴォルフガング傭兵団が来たから、私、通報はしたみたい」
話し終えたエマは、二杯目となる紅茶を口にした。ティーカップに触れた指先が、じんと熱くなる。
「傭兵団か。この辺りを治安を守っている集団だっけ?」
「そうよ。領主のヴォルフガング子爵に雇われているの」
「そっか。――……えっと」
ハイネは視線を彷徨わせ、テーブルの上に置いた手を握りしめた。
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