――リンベルク図書館の最上階。スタッフだけが出入りを許された狭い部屋の鍵を閉め、女は窓辺に立っていた。受話器を片手に握り、そのコードを長い指先でくるくると弄ぶ。


 視線の先には、ひと組の若い男女。


「えーっと、今、図書館の前で別れたみたいですぅ。随分長ぁいあいだ喋ってました。……いーえ、あたしの勘では付き合ってないと思いますよぉ。ま、先のことは分かんないですけど。ふふっ! ああいう真面目そーな子たちに限って、意外と進展早かったりするんですよねぇ」


 くすくすと、甘い笑い声。


「――えー、だってぇ。盗み聞きしようと思って途中までついて行ったけど、あの男のほう、すんごい警戒してたんですもん。これはやばいなぁ、このまま行くと絶対バレるなぁ、と思ってぇ。……あぁ、大丈夫ですよぉ、途中で思いとどまったのでバレてませーん」


 それに、と女は口角をつり上げながら続ける。


「裏庭で何を話していたかなんて、大体その前の会話で分かりますよぉ。やっぱりフレーベルのことを調べてたみたいですねぇ、あの傭兵くんも、エマ・ブラントも……ふたりで情報交換でもしたんでしょう。あ、そうそう。エマちゃん、かなり素材が良い子ですねぇ。ゆったりシルエットの服を着てたから分かりづらかったですけど、あれは意外とスタイルも良い感じですよぉ。さっすが、見る目あるぅ!」


 受話器から、溜息が漏れ聞こえる。


「あ、この喋り方ですか? いいじゃないですかぁ、あたしこのキャラ気に入ってるんですぅ。頭悪い司書の女、イェニー・レーマン……」


 窓ガラスに、ふわふわとした蜂蜜色の髪を持つ女が映り込んでいた。女はその顔を眺めてから、ぺろりと唇に乗せたべにを舐める。杏色のそのべには、全くもって女の好みではなかった。


「このウィッグはちょっと鬱陶しいですけどぉ、本当のあたしとは似ても似つかないでしょ? 口調も、見た目も、性格も……。間諜スパイとしては優秀じゃないですかぁ」


 べにも爪も赤に限る。


 赤、赤、赤。最もこのに似合う色。


「にしてもあの傭兵、さっさと消しちゃったほうが良いですよぉ。色んな意味でキケンだしぃ。……はぁ。まぁ、そうですねぇ。あんまり連続で死んでも違和感あるかぁ。小さな町だし……」


 ちぇっと唇を尖らせながら、受話器を持っていないほうの手を眺める。司書はネイルは禁止だ。つまらない。今すぐ染めたい。全ての指を血の海に漬けたような、赤に。


「……はーい、暫くはイェニー・レーマンを続けますぅ。エマちゃん、よく図書館に来ますもんねぇ。最初は何で司書が間諜スパイになるのかなぁって思ってたけど、意外と情報取れるんだもん」


 電話の相手が話を終えようとするのを、女は「あっ、そういえば」と引き留める。


「エマちゃんっていつも小難しそうな本ばっかり読んでるのに、今日は子ども用の本を借りていったんですよねー。ちょっと気になったんでぇ、一応お伝えしておきますね?」


 返ってきたのは沈黙。女は軽やかに笑う。


「――とにかく、あの子があたしたちの妹になるのが楽しみですぅ。はやくモノにしてくださいね? お、と、う、さ、ま」


 受話器を置いて、傍受を防ぐ機材を電話機本体から取り外す。


 さて、べにを塗り直さなくては。

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