ハイネの画廊
「これは何を無念だと思っている絵なの?」
「あぁ、すまない、紛らわしかったね。これはモルス・メモリエじゃなくて、僕の画廊への入り口なんだ」
そう言うと、ハイネはどこからか取りだした筆の柄で、絵の扉をノックするようにコツコツと叩いた。
「絵画の魔術――作品名『アルカーヌムの扉』」
一体何を、と眉をひそめかけたエマは、次の瞬間目を見張る。
絵の中の扉が、ゆっくりと開いている――……?
「えっ……!」
――ふわりと体が浮いた気がしたのは、一瞬のこと。
思わず閉じた目を恐る恐る開けた時、エマはさっきまでと別の空間に立っていた。
無音で、空気の匂いはなく、暑さも寒さも感じない。前方に果ては見えず、どこまでも続く廊下のような場所だ。大理石のような質感の床に、白い漆喰の壁。そこには、黒い額縁に納まった何枚もの絵が、ずらりと飾られている。
灯りが最低限に抑えられているのか、全体的に暗い雰囲気があるものの、絵だけははっきりと見えた。
「私、一体……」
「ここが僕の画廊さ」
エマの顔をのぞき込み、ハイネは言った。
「さっきのが、僕の能力のひとつ。簡単に説明すると、絵を通して君を異空間に転移させた、みたいな感じかな?」
「凄い……魔術なんて初めて体験したわ。本で読んだことはあるけど、一瞬でこんな……」
「ふふ、驚いた?」
「えぇ!」
つい声が上擦ってしまい、恥ずかしくなった。しかしハイネは微笑ましいものを見るような目つきで、うん、と頷く。
「思った通りだ。エマの笑顔、すごく素敵だね」
エマは、これまでの人生で一度もかけられたことがない類いの言葉に動揺した。そして、自分が声を上擦らせただけでなく、笑みまで浮かべていたことが信じられなかった。
恩師の死からたった数日しか経っていないのに、一瞬でも浮かれた自分が恨めしかった。これでは、葬式に参列した人々が聞こえよがしに囁いていた言葉を、否定出来ない。
『あの弟子の女の子、ヨーゼフ先生が死んだというのに涙も見せないじゃない』
『なんて恩知らずな子なのかしら』
『だから、先生を殺したのは弟子だなんて噂が流れるのよ』
『あら、あながち間違いじゃないかもしれないわよ――』
「エマ?」
ハイネの気遣わしげな声に、エマはハッと我に返った。
「あ、ごめんなさい」
「大丈夫? 君、ずっと暗い顔をしていたから、笑顔を見られたのが嬉しくて言ったんだけど……何か気に触ったなら謝るよ」
「そんなことないわ。ただ、そんな風に褒めてもらったことがなかったから驚いただけ」
「ふうん? じゃあその魅力に気付いているのは僕だけってことだ」
「……ハイネ。あなた、どこでそんな台詞を覚えてくるの?」
エマは感心半分、呆れ半分で肩を竦めた。この整った外見に加え、歯の浮くような台詞。大人になったら、さぞかし多くの女の子たちを泣かせることだろう。
「む。なんだか僕の気質を誤解されたような気もするけど……まぁいいや」
少々不服そうな顔を浮かべつつ、コツ、と足音を反響させて、ハイネは歩き始める。
「さて、ここにある絵は全てモルス・メモリエだ。気になった絵があるなら解説するよ。どれがいい?」
「気になる絵……」
エマは改めて、壁に並んだ絵に視線を向けた。人物画から風景画まで、種類は様々。どうやら、その描画法も絵によって異なるようだった。
絵画には明るくないエマだが、惹かれるものは幾つかある。
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