第11話 ぼくは錯乱する

「まあ、そう言うことですから、今日のところはお引き取りください。昨日お願いした条件ですが、可能な限り『勉強』お願いしますよ。真島さん、尾上さん」

 

 吉永部長は、やや強引に話し合いを打ち切ろうとした。東堂さんの話で何かを引き出せるほど甘くはなかった。


「差し出がましい話ですが、新任のご上司から無理難題を押し付けられていると言うことはありませんか?」


 真島課長は唐突に尋ねた。


 僕には出来ない芸当だ。

 このタイミングで、それをオブラートに包まずに言う勇気はない。


 吉永部長から少し表情が抜けた。


「真島さん、何故そのことを?」


「先刻そのお話をお伺いしたと、尾上が心配しております」


「ああ、キミには話したかな」


「は、はい! 御社が重要な取引先と言うだけでなく、個人的にも吉永部長の事は尊敬しています。何かお手伝い出来る事がないか今日は真島と二人でお伺いした次第です」


 そうか、と呟いて吉永部長は着席した。


 僕たちも釣られて着席すると吉永部長はしんみりと話し始めた。


「財務担当役員の都賀つが常務が着任すると、早速我々購買に調達価格を一律15%削減せよとの無理難題が課されました。他の部署にも同様、馬鹿げたKPI(重要業績指数)が課されたのです」


 僕たちは生唾を飲んだ。15%というのもそもそも難しいが一律の意味が理解できない。


 サプライヤーごと、商品ごとに価格の弾力性(価格によって売れ具合が変わる特性)は違ってくる。


「どうも、役員会で都賀はスタンドプレーをしたようなんだ。『購買コストを15%削減する』と何の裏付けもなく宣言して、あとは我々に押し付けた。だが、これに失敗すれば私はどうなるか分からん」


「そんな、それがどんな荒唐無稽な事か、聡明な役員会の皆さんには理解できぬはずもないでしょう?」


「聡明、ね。だとしたらこんな苦労は……」


 聞いてはならない話に思えた。


 吉永部長も口が滑ったと思ったのか、それきり口をつぐんでしまった。


 そこにバーン! と派手な音がしてドアが開いた。


 その場にいた三人とも、まずその音に驚き、そして入ってきた人物を見て二度驚いた。



「と、東堂さん?」


「暁子! い、いったい何を……!」


「吉永部長! 尾上さん、遅くなりまして申し訳ありません!」

 

 怖かったが、チラリと横目で真島さんの顔を見た。


 案の定、驚いている。


 万事お終いだ。


 元々僕は東堂さんに揶揄からかわわれていただけなんだ、と言い聞かせて開き直っていた。


「体調が悪い、とお伺いしましたが大丈夫ですか?」


 僕がそう言うと、東堂さんは僕たちと吉永部長の前で大声をあげて泣き出した。


「申し訳ありません、申し訳ありません!」


 何がどうしたのか飲み込むこともできず、僕は立ち尽くすしかなかった。


 吉永部長は、


「君たち、大変お見苦しいところを見せたね。これで失礼するよ」


 と言って東堂さんの肩を抱いて退出して行った。


 東堂さんの小さな肩は、嗚咽していて大きく上下していた。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 岩田電産から駅までの道すがら、僕と真島課長は無言だった。

 しかし、もう東堂さんのことについて避けては通れないだろう。

 

 僕は意を決して真島課長に話しかけた。


「あの、真島課長」


「ショックだよなー。悟」


 そりゃそうだよな。りおんちゃんが東堂さんで、そして僕が好きになった人だなんて。


 部下と女性を取り合うことになるなんて思いもしなかっただろう。


「すみません!」


「お前が謝ることじゃないだろ」


「し、しかし」


「あんなに焦燥し切った吉永部長なんて、見たくなかったよな」


 えっ、東堂さんのことじゃない?


「悟、何びっくりした顔してんだ?」


「い、いえ」


 僕は助かった、のだろうか。


「さ、社に戻って吉永部長をお助けするプランを一緒に考えようぜ? 結構タフだな。田淵部長の決済取るのはかなり骨だな」


 単に問題が先送りになっただけのような気がするけど、今はこれがベストだ。


「そうですね、僕も頑張ります!


 ともあれ社に戻り真島課長と『勉強』にかんして検討に入ることになった。

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