第8話 さっきの続きを

 着信の画面にはさっき登録したばかりの「東堂暁子」と言う名前が表示されている。


 突然の東堂さんからの電話に驚いた。まだ仕事から上がっていないはずだったからだ。


 しかしバッテリーも少ない。ヤバいな、充電するの忘れてた。


 ともかく、電話に出ることにした。


「と、東堂さん、まだシフト中なんじゃ……」

 

「あの……あと30分でアガリなので、その後会ってもらえないでしょうか?」

 

 えっ、何? 何? 何? この僥倖ぎょうこうは!

 

 しかしこういう時に僕は素直に喜べず、カッコつけてしまう悪癖がある。


「会ってくれなんて、どうしたの?」


「真島さんがおっしゃっていた事……なんですけど、その事、ちょっと話せないかなって」

 

 僕だって、さっきの話の続きをしたかったよ!

 

 ああ、なんて日なんだろう。神様はいるって今なら信じられる。この電話番号は、東堂さんの個人の携帯電話だったんだ。

 

 もし、今日岩田電産との交渉がなかったら。

 もし、東堂さんに僕の名刺を渡していなかったら。

 もし、吉永部長と交渉で揉めなくて電話を掛ける必要がなかったら。


 僕が東堂さんを好きになることもなかったかもしれないし、彼女が僕と連絡する手段すらなかったかもしれない。


 運命は良いことと悪いことを足して引いて結局ゼロになるって聞いたことがある。

  

 東堂さんに入れあげている真島さんという存在は間違いなく悪いことに違いないが、さっき別れたばかりだし、もう邪魔は無くなった。


 もう迷う事なんて必要ない!


「僕も、話をしたかったんだ」


「ほ、本当?」


「本当だよ。じゃあ、どこで落ち合えばいいかな?」


「『堕天使』のビルから、駅とは反対の方向に通りを三百メートルくらい歩くと、左手に『アーチーズ』ってカフェレストランがあるの。そこで待っててもらえないですか? 目印はウエスタンな感じの看板なの」


「アーチーズだね?」


 僕はiPhoneのマップを開いて場所を検索した。

 東堂さんの説明の通りの場所に「アーチーズ」は存在した。


「念のために検索してどこだかちゃんと分かったよ。オッケー、そこで待っていればいいんだね?」


「はい! お願いします それじゃあ後で……!」


 東堂さんの声は弾んでいた。 



「うん、後でね」


 僕は努めて冷静を保とうとしていたが、声が上ずっている。


 電話を切った僕は、エスカレーターがホームに着くと直ぐに階段を走り降りた。

 

 安直に踵を返して階段を駆け下りる姿を、真島課長が反対のホームから見ていたことを僕が知ったのは後の事だった。

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

「店長、りおん上がりまーす」

 

「りおんちゃん、お疲れ様明日もシフト入っているんだよな?」


「はい、いつもと同じ8時-0時ですよ」 

 

「おっけー。気を付けて帰るんだよ。また明日」


「はーい。店長もお疲れさまです!」


 りおんこと東堂暁子が勤務時間シフトを終えて帰ろうとすると、沙織が寄って来た。


「りおんちゃん、お疲れー。アタシももう少しでアガリなんだけど、今日少し付き合ってくれないかな?」


 暁子の表情が曇った。


「沙織ちゃんごめんなさい、明日も違う仕事が朝早いの。金曜日だったら沙織ちゃんとどこかでアフターしたいな」


「りおんちゃん、私たち同士ではアフターって言わないよ(笑)。分かった。急にゴメンね」


「ううん、こちらこそゴメンね。いつも沙織ちゃんには良くしてもらっているのに」

 いつも闊達な感じの沙織だが、今日は少し調子が違う。


「どうしたの、沙織ちゃん?」


 感情が溢れ出てきた沙織の眼から涙が一筋流れた。


「え、沙織ちゃん、メイクが……」


「りおんちゃん、アタシ今日来た悟さんがマジで好きになっちゃったみたい」


 暁子は薄々沙織の態度でそれを感じ取っていたが、自分がずっと五年間片思いを続けてきた悟を沙織と取り合うことになるとは夢にも思わなかったのだ。

 何を言ってよいか分からないが、沙織は暁子に優しい友達のような存在だし、関係を悪くしたくはない。


(なんでこんな事に……)


「分かったわ。待ってる。今晩は沙織ちゃんに付き合うよ」

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