第35話 15分待って

 アーチーズが閉店になってしまったので、僕は店からでて、駅前の広場で東堂さんの仕事の上りを待っていた。

 昨晩いたたまれなくなって、財布を置き去りにして逃亡し、仕方なく真島課長を待っていたあの場所だ。


 遠くから小走りで近づいてくる女性の姿が見えた。


「悟さん、遅くなってごめんなさい」


 上下がグレーとピンクの千鳥格子の柄のセットアップで現れた東堂さんは、そういって僕に一言詫びた。

 息が弾んでいる。


 僕はありったけの笑顔を作って、


「全然大丈夫だよ。お仕事お疲れ様」


 というと、東堂さんは僕がそう言うと少し照れたように俯いた。

  

 そして小声でつぶやく。


「悟さん、いつも優しいですよね」


「えっ、そうかな」


「そうですよ。大学の時だって、今の職場にだって、なかなか悟さんのような優しい人はいません」

 

「それが誤解ではないということを僕はちゃんと東堂さんに証明し続けていかないといけないね」


 東堂さんのことが愛おしくてたまらないくせに、気取ってそんな言い方をしてしまった。


「本当ですか? 嬉しいな」


「もう、遅い時間だけど、どこに行こうか。まだ居酒屋やバーなら空いていると思うんだけど」


「あの、少しわがままを言ってもいいですか?」


 天使のような東堂さんのわがままって、どんなわがままなんだろう?


「どうぞ、なんなりと」


 と僕が答えると、いたずらな顔をしてこう言った。


「タクシーに乗って一緒に行ってほしいところがあるんです」


 ちょっと意外な提案だったけど、僕は断る理由なんてない。


「どこへ?」


「着くまで秘密です」


 そういった東堂さんの顔をとてもうれしそうな表情だった。


 この笑顔をいつまでも守りたい。

 僕はそんな気持ちになっていた。


 駅のタクシー乗り場からタクシーに乗ると、東堂さんは、


「紅葉坂公園までお願いします」


 と運転手に告げた。


「帰りはどうするんですか? あの辺、なかなか帰りのタクシーは捕まらないよ?」


 運転手がそう言うと、


「あ、その場で15分ほどそのまま待っていていただけますか?」


 と、東堂さん。


 運転手は我が意を得たりという感じで頷いた。


 タクシーが走り出すと、東堂さんは、


「ごめんなさい。こんな遅い時間に。でも、どうしても悟さんと今日、一緒に行きたいところなんです」


 僕は、その紅葉坂公園のことを全く知らなかった。


「どんなところなの?」


「着くまで秘密って言ったでしょう?」


「そうだったね。じゃあ、僕は黙ることにしよう」


「黙らないで、何かお話ししましょう」


「改まってそういわれると……すこし緊張するよ」


「悟さん、何言ってるんですか(笑)。どんなことだっていいんですよ」


 僕たちは、5年前に会っていた。

 僕は不覚にも忘れていたのだけれど、今はこうしてまるで恋人同士のように話している。


 忘れてはいけない。

 僕たちはまだ、「恋人同士」ではないのだ。

 好きだ、とか、付き合ってください、とかちゃんと言ってないし。

 

 アラサーの男が何とも情けない。


 今日こそちゃんと僕は東堂さんに好きだって気持ちを伝えないと。


 東堂さんもそのためにきっとそこを選んだんだろうな。


「ここら辺ですよ、紅葉坂公園」


 運転手が目的地付近であることを教えてくれた。


「ありがとうございます。15分待っていてください」


 東堂さんがそういうと、


「15分といわず、もう少しゆっくりしても大丈夫だよ。メーターは止められないけどね。悪いね」


「あ、もちろんです。なにか荷物を置いて行った方がいいですよね?」


「俺たちはプロだよ。お兄さんたちがそんな乗り逃げするようなお客さんじゃないことくらいわかってる」


「運転手さん……」


「でも一応携帯の番号は教えておいてもらおうか(笑)」


「そうですね(笑)」


 タクシーを降りると僕らは公園の入り口から入り、暗がりでよく見えないけど小高い丘に続く道を進んでいった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る