第36話 もう一回言ってくれますか?
公園の中は、街頭も疎らで坂道になっている遊歩道の足下はおぼつかない。
ヒールを履いている東堂さんは少しよろめいた。
「私、今日ここに来るつもりだったのになんでこんな靴履いてきちゃったのかな。バカですよね?」
「もしよかったら僕に掴まっててください」
咄嗟に出た言葉だった。
「はい」
暗かったが、もう目が慣れた。
仄かに東堂さんの笑顔が見えた。
東堂さんは僕の右腕に掴まって自分の身体を引き寄せた。
今までで僕ら二人の距離が一番縮まった瞬間だ。
なんだか頭の中がジーンと来て、動悸が激しくなってきた。
こんな気持ちになるのって、いつ振りだろうか。
少なくとも元カノと付き合い始めた頃、こんな感覚があったかどうか覚えていなくて、これが特別な感情なのかなと感じていた。
「歩きにくくないですか?」
「いや、大丈夫だよ」
「もう100mも坂を登れば私が来たかった場所に着きますからね」
僕は逆にこの道が何キロも続けばいいなと思った。
最後に少し急な階段が10段くらいあって、それを登ると、少し開けた場所になっていた。
「わあ」
僕は眼前に広がる景色を見て言葉を失った。
ここは少し小高くなっている紅葉坂公園の最高地点だという。
そして目の前にはびっしりと灯の点った街並みが広がっていた。
「こんな素敵な場所が近くにあったんですね」
駅からタクシーで15分走ったくらいのところだから、大体4㎞くらいの距離だろうか。
見えている夜景の街並みは僕たちがさっきいた駅のあたりなんじゃないだろうか。
「ここは、母とよく来た場所なんです。悟さんにもぜひ見てもらいたかったんですよ」
少し遠い目で東堂さんは夜景を眺めている。
今しかない。想いを伝えるんだ。
「あ、あの」
「悟さん、なんですか?」
「昨日の電話のことなんですけど」
東堂さんは僕の方を向いた。
「ちゃんと、僕の気持ちを伝えてなくて……その……」
くそっ、自分の優柔不断さに腹が立つ。
「すみません。あの時のセリフをもう一度、僕に言ってもらえませんか?」
「あの時のセリフって?」
「『私たち、なんなんでしょうね』っていう……」
僕がそういうと、東堂さんは両手で口を覆って笑い出した。
「悟さんってクールな感じなのに、本当に面白い!」
「笑い事じゃないですよ」
「ごめんなさい、でも、私そういうギャップがとても好きです」
あれ、東堂さん今なんて?
「ちゃんと僕の想いを今日は伝えたいと思っていました」
僕がそうやっとの思いで伝えると東堂さんは笑顔から真面目な顔に変わった。
「私たちって、なんなんでしょうね?」
「東堂さん、好きです。僕と付き合ってください」
耳鳴りがする。
心臓の音が大きく聞こえる。
自分が何を言っているのかわからなかった。
東堂さんは、また柔らかい表情に変わって、そして言った。
「私も悟さんが大好きです。いえ、ずっと好きでした。あの時からずっと」
僕の耳の中では、東堂さんの言葉が何度も繰り返されている。
こんな時、言葉がなかなか出てこないのはなぜなんだろう。
「私は訳あって今みたいな仕事もしているんですが、本当に私でいいんですか?」
「僕は東堂さんがいいんだ。何があったって僕はすべてを受け入れるよ。君がバラなら、トゲまで抱きしめるさ」
「悟さん……ありがとう」
僕は東堂さんの身体を抱き寄せて両腕で少し強く抱きしめた。
仄かにパフュームの香りと、東堂さんの髪の匂いがした。
「タバコ臭いでしょう?」
照れ笑いした東堂さんが僕の目を見て言った。
「これから、よろしくお願いします」
「ぼ、僕の方こそ、お、お願いします」
「悟さん、私結構なじゃじゃ馬ですけど」
「じゃあ、僕はちゃんと乗りこなしてみせるよ」
周りには誰もいない。
もう自分の理性のタガも外れていた。
「東堂さん」
「曉子って呼んでくださいね」
「曉子さん」
僕たちは見つめあった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます