第100話 プレイバック

「あれえ、ミレイちゃんじゃん! 奇遇だね。こんな所で会うなんてさ」

 話は昨日に遡る。水野詩郎は真島が企図した通りの台詞を言ってパティシエ専門学校に通う土居ミレイに声をかけた。


「あっ、水野さん」


「やっほー! 会社ぶりだねっ!」


「あの、どうしたんですか? こんな所で」

 軽い感じの水野の一言に対しては、心なしかミレイの表情は硬い。


「今日は体験入学なんだよねー。いきなりオレっち、菓子作りに目覚めたっていうか」

 ミレイの頭の中にははてなマークしか浮かんでこなかった。

「そ、そうですか。それでは準備がありますので失礼します」


「そんなー、冷たいじゃん? もう少し話そうよ」

  

「水野さん、はっきり言いますけど、私遊びでここに通っているんじゃないんです。邪魔をしないでくれますか?」

 ミレイは表情を変えた。

 その真剣な眼差しに水野はたじろいだ。


「ご、こめんね。でも、これが終わったら少し話せないかな?」

 水野の渾身の提案に、ミレイは返答もせず実習室に入って行った。


 水野は専門校の事務員から説明を受けるためにロビーへ。表情は明らかに落ち込んでいた。

(ミレイちゃん、怒ってたよな……やっちゃったな……オレのバカ!)

水野はいつもおチャラけた態度を取っているので、頭が悪く軽薄なイメージを持たれているが、その実自分に自信がなく、そんな態度をとる事で自分のメンタルを保っている。


 気もそぞろで女性事務員からの説明を聞いて、入学関連の書類を一式受け取ると今度は調理実習室へ案内された。


 そこに、ミレイが居た。


(ああ、まだ神はオレっちを見捨てていなかった!)


 実習室の後ろの方で待機するように言われた水野は、そう勝手に解釈して先ほどとはうって変わって笑顔になっていた。


 実習室内には、全部で十人ほどの生徒がいた。


 多くはミレイくらいの年齢の女性だったが、少し強面の中年男性も一人、十代に見える男女もいた。


 ミレイも水野が実習室に入ってきたのを認識していた。


(水野さん、なんでこんなところパティシエ専門校に?)

 

 なんだか気持ち悪い、とすら思っていた。


 土居ミレイがパティシエ専門校に入った理由は、関東テクノスの営業事務員でいることが嫌になったからだ。

 仕事は単調で刺激がなく、同僚や上司との関係は悪くはないが一日一日、時間を浪費しているように思えてならなかった。


 ミレイは一見大人しい性格だが、実は内に秘める自己実現への野望は大きなものがあった。


 それゆえに関東テクノスを辞めて単に転職するのではなく、自分が幼いころに夢見たパティシエになるという選択肢もアリなのではないか、そう思いを巡らせて、自分のパティシエとの適性を見極めるために入校したのだ。


(私は水野さんみたいにお遊びでここに来ているんじゃないんだから!)


 ミレイは水野を敢えて無視した。


 水野はそれを誤解して、

(ミレイちゃん、すごい集中力だな……そしてキレイだ……本当に尊いなあ)

 などと考えていたからおめでたい。


 内に秘めた向上心の塊のミレイと、自信不足のチャラ男の水野が釣り合うはずがない。この時点で、ミレイをストーキングするように水野がパティシエ専門校へ押しかけたのは間違いなく悪手であった。


「はい、それでは本日の課題である『フルーツタルト』の調理実習を始めたいと思います。今日は、二名の体験入学者がいらっしゃいますので、これから二人の在校生を指名しますのでペアになって実習をしていただけますか?」

 講師のパティシエが少し大きな声で言った。


 ミレイはそれを聞いて咄嗟に「絶対に私を指名しないでほしいな」と思った。

 

 相手が水野であるかどうかはともかく、自分は集中して実習を行いたかったからだ。


「それでは、金森さんと土居さん。お願いできますか?」

 しかし、講師は非情にもミレイを指名したのだった。

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