第2話 5年前に僕に起こったこと
「
「いえ、今日は物別れでした」
「えっ、そんな顔してるのにか?」
東堂さんのことを考えていて表情が緩んだまま社に戻ってしまったから、上司の真島課長にはおかしな奴だと思われたかも。
「課長、すみません! 不謹慎でした」
「まあそれは良いよ。まずは吉永部長と何があったか報告してくれ」
僕は吉永部長から突然無理難題を押し付けられそうになった事を詳細に課長に話した。
「どうしたんだろうな。吉永部長らしくない。あの人は厳しい交渉相手ではあるけどそんな無理なことを言うような人じゃない」
「そこなんですよ。僕もそう思いました」
「これは単なる邪推だが、吉永部長も社内の誰かに無理難題を言われてるのかもしれないぞ」
「えっ」
真島課長は勢いだけの僕とは違って理論派の凄腕営業マンだった。
僕が新人の頃は真島さんはまだ主任で、同じ営業三課の先輩として色々な事を教わった。真島さんの経験から来る推察はかなりの確率であたっていたのだった。
今回の事だって確かに真島さんの推論のようなもの知れない。というのは、この前の交渉の時、確か吉永部長はこう言っていたのを思い出したからだ。
「オレの新しく上司になった人は結構エゲツなくてな。外資企業からの転職者なんだけど、とにかく自分本位なんだよ――」
真島課長にその事を伝えると明快なアドバイスが返って来た。
「まずは謝罪だ。売り言葉に買い言葉。そりゃオレたち営業も人間だから感情が出てしまうことだってある。次の商談ではオレも一緒に行くよ。吉永部長が困ってるなら助けたいだろ?」
「ほ、本当ですか課長⁉」
「当たり前だ。お前のお客さんだが、会社にとっても最重要顧客の一つだ。取引がなくなったら一大事だぞ?」
真島さんは本当に頼りになる人だ。 ――少なくとも仕事上は。
取引先にも、上司にも、仕事面では僕は相当恵まれている。
しかし、プライベートは別だ。
僕にはもうかれこれ彼女が五年いない。
新人の頃、当時の真島主任の誘いで参加した合コンで知り合った女の子と付き合った。
もっといえば、僕のアパートで同棲していた。
僕らの性格の相性はとても良かった。一緒に居て本当に楽しかったし。
でも、僕らはあっという間に別れた。
その娘には他に付き合っていた男の人がいたからだ。
ある日突然「他に好きな人がいる」置手紙がしてあり、荷物はきれいになくなっていた。
僕はただ落ち込み、そして自棄になっていた。
そして女性恐怖症になっていたのかもしれない。だからずっと恋愛をする気になれなかったんだ。
東堂さんは、そんな事すら忘れさせてくれるほど素敵な笑顔を持っていた。
「部長の機嫌を伺いに電話」、というのはもちろん方便だ。
僕のデスクの電話から東堂さんに手帳に書いてもらった電話番号にかけて見る。
呼び出し音が鳴っている。
(東堂さん、声も可愛かったな…なんか緊張してきたぞ?)
三コールで電話は通じた。
(やった! 東堂さんが電話に出たぞ!)
「はい、岩田電産購買部です」
(えっ? 東堂さんじゃない!)
直通電話じゃ無いのかな?
ダミ声のオジサンが電話に出たのでビックリした。
「いつも大変お世話になっております。関東テクノスの尾上と申しますが、東堂様はいらっしゃいますか?」
「東堂ですか? 少し席をはずしているようですね」
「左様ですか。それではまた後ほどかけ直しますので、電話があった事をお伝えいただけませんか?」
「もう一度お名前を頂いても宜しいですか?」
「関東テクノスの尾上と申します。宜しくお願い致します」
電話を置いた。
なんだかドッと疲れが出た気がした。
「なんだ、吉永部長の携帯にかけなかったのか?」
「あ、いえ、吉永部長のご機嫌を確認してからかけようと思ってですね」
「吉永部長以外に、購買部の誰に掛けるんだよ?」
「あ、いえ、そのですね……」
ドギマギしている僕に、真島課長は何かを嗅ぎ取ったようだ。
「悟、お前何か隠してるだろう?」
「いえ、何もっ!」
「怪しいぞ? 正直に言え!」
言えるわけないですよ。そんなの。
「か、課長、後できちんと話しますが今は勘弁してください」
真島課長はニヤニヤしながら立ち上がり、ぼくの傍に来て小声で耳打ちする。
「今晩久しぶりに付き合ってもらうぞ」
「そんなぁ……」
「嫌だとは言わせんからな」
嫌ですっ!
真島課長はデキる人だけど、酒を飲みに行くとまるっきりダメな人に変身するからなぁ。
「分かりましたよ」
でも不承不承付き合うことにしたが、きっと酒の肴として
「じゃあ後でな」
真島課長は会議があると言って営業三課のシマから出て行った。
さあ、気を取り直してもう一度電話だ。
後ほどかけ直す、って言ったけど何度も掛けるのも気が引けるなぁ。
それで外出していた間に溜まっていたメールチェックを一通りすることにし、一応全部に目を通して返信終えて時計を見た。
もう5時48分か。岩田電産の終業前には掛けないとな。
電話を掛けようとすると、そこにいきなり携帯に着信があった。
知らない電話携帯電話の番号だ。
しかしこれは会社の携帯電話だし、名刺にはこの携帯電話の番号が印刷されているからお客様であっても何の不思議もない。
「はい、関東テクノス、営業の尾上でございます」
とにもかくにも電話に出てみた。
「あ、あのぉ、岩田電産購買部の東堂と申しますが……」
「あっ、あっ、東堂さんですか?」
「は、はい、先ほどはどうも」
な、なんと東堂さんから携帯に電話とは!
意味もなく携帯を持つ手を右から左にする僕。
「東堂さんが離席中に電話をしてしまい申し訳ありませんでした」
「いえ、こちらこそ尾上さんからの電話を取れなくて申し訳ないです」
東堂さんは、本当に礼儀正しい
「それで吉永なんですが、今日は役員との会議で、席にはいないのですよ」
「そうでしたか。部長の明日のご予定はご存じでしょうか?」
「確認しますね……はい、明日は出社する予定でございます」
「それはよかったです。明日、直接お伺いしてお詫びをしたいと思います。大変申し訳ありませんが、部長の空き時間を教えていただけないでしょうか」
少しお待ちください、というと、マウスのクリック音だけがしばらく聞こえ、また東堂さんは会話に戻ってきた。
「朝いちばんはチームミーティングがあり、10時から30分だけ空き時間があるようです。いかがなさいますか?」
「その時間に参ります! よろしくお願いします!」
「かしこまりました。それでは明日、10時にお待ちしております」
要件が終わって電話を切ろうとする東堂さんを僕は呼び止めた。
「あのっ! 明日もご同席していただけるんですよね?」
思わぬ言葉が突いて出た。
何を言ってるんだ僕は‼
「ふふふっ、もちろんですわ。私も明日、お待ちしてますね」
僕は、無意識に小躍りしていたんだと思う。
課員で二年後輩の汐留 結衣香が気持ち悪いものでも見ているかのような視線を僕に投げかけているのが目に入った。
「な、なんだよ」
「尾上先輩、踊っちゃって何やってんですか。マジでキモいっすよ」
結衣香は遠慮がなくて生意気だけど何か憎めない後輩だ。
「お前には関係ないだろ! もう定時だし早く帰れよ!」
「ごあいにく様~まだ仕事終わってませ~ん~! べー!! だ!」
口をへの字にして悪態をつく結衣香もちょっと可愛いがこいつの口の悪さには閉口させられる。
「おい、悟、仕事終わったか?」
すると真島課長が会議を終えて戻って来た。
「オッケーですよ」
「おい、なんだか乗り気じゃねえな? まあいいいか。よし、
僕は、すっかり気分が晴れやかになった真島さんと繰り出した
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