第3話 Fallen Angel(堕天使)

「それで、その東堂さんってに一目惚れしたってこと?」

 

「そうなんです。ヨッシー先輩」


 真島課長は仕事が終わると課長と呼ぶのを嫌がるので、下の名前が由朗なのでヨッシーさんとかヨッシー先輩とか呼ばせてもらっている。


「ハハハ、わけぇなあ! まあ、良かったよ。お前があのまま彼女も作らず仕事ばかりじゃ俺も心配だったし」


 なんだ、僕は課長に心配されていたのか。


「しかし元カノは、よもやよもやだよな。あんな可愛い顔して残酷なことする」

 ああ、その話はもういいですって。


「実は結構トラウマで、本当に女性恐怖症な感じだったんです」


「ふーん、それでか」


「それでって、なんですか?」


「いやいや、こっちの話だよ」


 こっちの話ってなんだよな。


「なんか中途半端でいやですよ。ちゃんと教えてくださいよ」


 僕は食い下がった。


「言いかけて悪いけど、これは今のお前にとって不要な情報だから言わない」


「えー」


「えーもあーもないの。この話はおしまい!」


「ちぇっ、生殺しにしてひでえなぁ」

 

 丁度酒も肴も尽きたところだ。僕は身構えた。


 本番はこれからだ。


「悟」


「なんですか」


「次行くぞ」


「嫌です」


 一応の抵抗は見せないと。


 真島課長はじっと僕の眼の奥をのぞき込むかのように視線を浴びせかけてくる。

 だめだ! 負けちゃだめだ!


 沈黙に耐えられず、僕は、


「じゃあ、1時間だけですからね。そんな金もないし」


 金がないという言い訳はあまり意味をなさない。


「2時間でどう? その分オレが出すし」


 これだよ。金で人を動かせると思ったら大間違いなんだからな!


 お察しの通り、真島課長の次の目的地はキャバクラだ。

 キャバクラ好きが高じすぎて結婚に失敗している……らしい。

 これは専らの噂だけど、とにかく先輩はバツイチのアラフォーの切れ者営業課長でイケメンだ。

 

 しかし女性恐怖症の僕はなるべくそういう所には身を置きたくない。


 行きたければ一人で行けばいいのに、といつも毒づいているけど、真島課長は僕がいるのといないのでは女の子からのモテ具合に違いがあるらしい。


「いつものあそこですか?」


「いや、営業マンたるや常に新規開拓が必要だぞ、悟。今日は『堕天使』ってところに行くからな」


「営業って(笑)、まったくヨッシー先輩は!」


「いいから行くぞ! すいませーん! お会計お願いします!」


 周りから次世代のホープだとかなんとかおだてられている僕だけど、その割には収入には全くその評判は反映されていないのが不満の一つだ。


 この居酒屋も、次のキャバクラも、結局全部真島課長が持ってくれるのだろう。それはそれで貧乏な僕にはありがたいことなんだけど。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 居酒屋を出て、五分くらい歩いた歓楽街の中心地にいわゆる飲み屋ばかりが入った雑居ビルがある。

 定員六名の小さなエレベーターで五階まで上がり、扉が開くと直ぐにキャバクラ「堕天使」の店内だ。

 ほの暗い紫色の店内はなんだか淫靡な感じがプンプンする。


 真島課長は受付でスムーズに一時間のセットと告げて、お気に入りらしい女の子をひとり指名した。


「りおんちゃんで」


 なにが、りおんちゃんで、だよ。


 この姿を課員みんなに見せてやりたいけど、何故かキャバクラへは、僕以外の同僚を誘わないようだ。


 それから、あれほど二時間に拘ってたくせに一時間にしたのは「リスクヘッジだ」そうだ。


 リスクヘッジってこんな時に使う言葉じゃないと思うけど。


 革張りの真っ赤なソファに座らされると、タイトな黒いワンピを着た栗巻き毛の長身の女の子と、羽衣の天女みたいな恰好をしたポチャっとした女の子が席に着いた。


 どっちがりおんちゃんなの?


「こんばんわぁ、あすかです!」

「沙織です! 真島さん、この方が噂の部下の人?」

 

 背の高い方があすかで小さくてポチャが沙織。りおんちゃんは居ない。

 そして僕をダシに享楽している真島課長。ちくしょうめ!


「りおんちゃん、直ぐに来るので、先に乾杯しましょう!」


 沙織の方は随分と調子がいい。



「私ウーロン茶頼んでもいいですか?」


「私は水割りで」

 キャバクラに詳しくない僕は、乾杯するドリンクまで客が負担するとか知らなかった。

 納得いかないけどそう言う仕組みだから仕方ない。


「いいよ、頼んで」


「真島さんはとそちらの方……」


「あ、こいつは悟ね」


 課長、いいって名前なんか教えなくても。



「悟さんは水割り?」


 僕は反応の仕方に迷って、こくん、とだけ頷いた。


 あすかがボーイに耳打ちすると、間もなくドリンクが運ばれてきた。


「じゃあ、乾杯しましょ? かんぱぁーい!」


 気乗りしないが真島課長に恥をかかせるわけにもいかない。


 ここでは別人を装うことにした。

 沙織に隣に座られているんだけど、なんだか香水の匂いのせいかどうでも良くなってきた。


「悟さん連れてきたいっていつも言ってたんですよ、真島さん」


「えっ、そうなんだ。僕も早く来たかったんだよね」

 真島課長は僕と女の子がまずまずのやり取りをしているのを見てニヤついてる。


「今日はな、コイツが恋に落ちたって話なんで聞いてやってくれ」


 ちょっと、勝手にそんな話しないでくださいよ。


「えー、この前まで彼女なしの堅物営業マシーンだったって」


 あすかの言い方もあるけど、なんかカチンとするな。なんだ、堅物営業マシーンって人を人気のない戦隊モノの敵キャラみたいに言いやがって。


「なんだ、沙織ちゃんみたいな子がいるんなら、ちょっと早まったかな?」


 くそっ、やけくそだ。


「えー、やだぁ。沙織だって彼氏を選ぶ権利ありますぅ~」


 まじか、そのリアクション。冗談通じねえな。


「ごめんなさい、遅くなっちゃって。りおんでーす!!」


 馬鹿馬鹿しい会話に割り込んできたのは、りおんちゃん――と名乗る、ばっちりメイクをして白いドレスの装いをした、僕の知っている人、東堂 暁子さんだったんだ。


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