第24話 別れてくれませんか?

 会社の始業時間は九時だが、結衣香は九時を少し回った頃に席に戻って来た。

 

 さすがにその時間にはほとんどの課員が席に着いて仕事をし始めていたから、さっきの話をするわけにもいかなかった。

 表情を見る限り特にいつもと変わったところは見られない。


 しばらく客先からの電話などにも追われるようになってすっかり忙殺されていた。

 電話中、突然社内で使っているチャット機能のポップアップがあった。


 結衣香だ。


(先輩、さっきは取り乱してごめんなさい。できれば今まで通りに付き合ってくれたら助かります)


 僕は何もできず、田淵部長に邪魔されたのもあるけど追うこともできなかった。


「……ということで、納期は来週末になる予定です。よろしくお願いいたします。失礼いたします」


 僕は電話を切ってチャットに、


(結衣香は何も悪くない。いままで通りに接してくれると、ぼくもその方がいい)


 そう返した。


 結衣香の既読がついたが、それっきり返信はなかった。


 午前十時三十分。

 岩田電産からのキツい宿題の検討をするために真島課長と一緒に十二ミーティングルームへ向かった。


 PCと資料を抱えてなかなかの荷物だった。両手は塞がってて、歩きづらい。


「何か持ってやるぞ」


 とかなんとか言いながら真島課長はヘラヘラ笑いながら僕の三歩先を歩いている。

 課長は手ぶらだ。


「悪いけど、悟、お前先に行っててくれ。オレ、トイレに寄ってから行くわ」


「分かりました」


 課長と別れて、12ミーティングルームへ向かう通路を曲がると視界にさっきの女性社員が入って来た。


「あの、ちょっといいですか?」

 

「いいですけど、どなたですか?」


「私は総務部の立花美瑠っていいます」


「その立花さんが何か?」


「尾上さん、結衣香お姉さまとは別れてくれませんか?」


 は?

 なにを言ってるんだ?


 小さなクリクリとした瞳は目じりが上がって僕を射貫くように睨んでいる。


「た、立花さん、僕と結衣香は付き合ってなんていないよ」


「そんなはずはないです。私、知っているんだから!」


 知ってるも何も、今日僕と結衣香は付き合えないってことで合意したばかりだっていうのになんだっていうんだ、この娘は。

 

でも、結衣香とぼくの間に起こった事は話すわけにはいかない。


「じゃあ、どんな事を知っているっていうんだ?」


「うるさい! 女の敵! 尾上悟!」


 周りに誰もいなくてよかった。ひとしきり僕を意味不明に罵倒すると立花美瑠は去って行った。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

「真島課長、総務の立花美瑠って女の子知ってますか?」


「総務の立花? ああ、総務には色々とつながりがあるからその子なら知っているぞ。で、なんかあったか?」


「いや、さっき課長がトイレに行っている間、『結衣香と別れろ』とか、『女の敵』とかわめき散らされて」


「なんだそれ。お前、本当は結衣香と付き合ってたんじゃねえの?」


「いや、その事なんですけど、今朝結衣香と話したんですよ」


「えっ、会社ででか」


「たまたま今日は早く出社してたんですよ。そしたら結衣香が来て」


 僕は結衣香が出て行った顛末を話した。


「ふーん、そっか。お前なりにはけじめをつけたって事な」


「正直心苦しいです」


「何がだよ」


「いや、結衣香の事を考えると」


「お前本当に罪な奴だな。謝るとか、そりゃ結衣香が泣いたっておかしくないぞ。あいつ辞めないと良いんだがな」


「僕が言う事でもないですけど、失恋しただけで会社辞めますかね?」


「なんだと? ふざけんな! 悟!」


 穏やかだった課長が火を噴いた。


「お前がそれだけの存在だったって事だろ。辞めさせたらタダで置かねえぞ。いいな」


 課長にこんなに怒られるなんて、入社して初めてかもしれない。


「は、はい。すみません。僕は恋愛に疎くて結衣香にちゃんと向き合っていなかったかもしれません」


「怒鳴ったりして、悪かったな。でも、アイツはオレにとっても可愛い部下なんだ」


「分かっています。僕にとっても可愛い後輩ですし」

 

「『ちゃんと』してやってくれ」


 ちゃんと、の意味は自分で考えなければならないが、しっかりやらないと。


「ところで、その立花ちゃんが昨日の匿名の密告者だってことなんじゃないかな」


 なんだって?

 

 でも、だとしたら、僕は彼女に何をしたっていうんだろう。

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