結衣香と僕

第23話 僕は良い人なんかじゃない

 翌朝、僕は遅刻をするどころかいつもより早い時間に会社についてしまった。


 恥ずかしながら東堂さんと初デートの約束をして、嬉しくて眠れなかったからだ。

 こんな気持ちになるのは、いつ振りだろう。

 

 八時十五分。

 僕のデスクのあるフロアには人は疎らだ。

 メールの処理をし始めて少し経ったころ、


「先輩おはようっす」


 と結衣香の声がした。


「ああ、結衣香おはよう」


 セクハラ疑惑があり、真島課長から結衣香の僕に対する気持ちを聞いてしまった昨日の今日だ。

 東堂さんとの電話で結衣香の存在が小さくなったけど、やっぱり僕には結衣香の気持ちを軽んじることは出来なくて、気持ちが落ち着かなく、何とか普通に振る舞ってみようとした。


 しかしさすがにぎこちなさを自分でも感じる。


 こんな時。結衣香はいつもなら僕をイジってくるが、今日は挨拶をしたっきり自分の仕事を始めて無言を貫いている。

 正直居心地が悪い。思い切って話しかけてみた。


「結衣香」


「はい?」


「その、昨日は悪かったよ。お前を巻き込んでしまって」


 結衣香は緊張した顔を緩めた。結衣香も話し辛かったんだな。


「ボクこそすみません。誰か知らないけどおかしな密告した人がいるみたいで」

 

「誰がどうしてそんなことしたんだろう?」


「心当たりはないっす。先輩、誰かに恨まれているとかないですか?」


「それは桜城さんにも言われたよ。僕は社内で良くも悪くも目立ってるからって」


「先輩は悪くないっす。いつも頑張っててその結果の業績なんだから恨む人がいたとしたら単なる僻みじゃないっすか?」


 アレ? いつもの結衣香じゃないぞ?

 いつもなら「先輩敵だらけっすww」くらい言ってきそうなのに。


「先輩どうしたんすか? ぼーっとして?」


「あ、いや、なんかお前こそすこし変だぞ?」


「……」


 あ、これはダメなやつだ。


 頼むよ、黙らないでくれ。

 いつもみたいに俺を馬鹿にした様なことを言ってくれよ結衣香!


 数秒の沈黙は永遠に思えた。


「すいません、先輩。昨日課長から先輩の話を聞いてしまって」


 この展開は予想してないでもなかった。


 しかし、今の僕にうまく対処できるのだろうか。


 とにかく嘘や誤魔化しだけはしない。そうする事にした。


「お前の前で酔い潰れてから五年経つんだ。そろそろ僕も立ち直らないとなって」


「……ボクじゃ、ダメだったんすか?」


 こんな切ない顔をした結衣香を見るのは初めてだった。


「課長から結衣香の……気持ちは聞いたよ。ごめん、ずっと気がつかなくて」


「そうやって先輩は優しすぎるから却って傷つくっす。寧ろ『お前なんて興味ねえ』くらい言ってくれれば諦められるのに」


「ごめん……」


「謝んないでくれっす! ミジメじゃないすか‼︎」


 そう言って結衣香は泣き顔でフロアから出て行ってしまった。


 優しすぎる、か。


 ぼくはちっとも優しくなんてない。

 ずっと僕を慕っていた結衣香の気持ちを知ってなお一昨日出会ったばかりの女の子の方が好きだと言い放つ奴なんだ。


 僕は残酷なことをしてしまった。


「よう、どうした今日は。早いじゃないか」


 視野狭窄になっていた僕に声をかけたのは田淵部長だった。


「部長、おはようございます」


「ずいぶんやつれた顔をしてるな、どうしたんだ?」


「いえ、公私共に色々疲れるなーとか。ハハハ」


「なんだなんだ、最近のお前と来たらなにかと空回りしているみたいだな。どうだ? 今日は俺がどこかいいところに連れて行ってやるぞ?」


「あ、そういうのは間に合ってますので」


「間に合ってるってお前」


 いい人なんだけど、すぐに「いいところ」に連れて行きたがるし、しつこいのには辟易するなあ、部長は。


「そういえば、尾上、昨日の件は黒崎君人事部長から聞いたぞ。災難だったな」


「ええ、まあ。濡れ衣だと認めていただいたので良かったですが」


「まあ、気をつけたまえ。会社でしくじるのは『金・女』だ」


「は、はい、気をつけます」


「じゃあ、がんばるんだぞ?」


 田淵部長はそういうと部長の個室に入っていった。


 部長を目で追うのをやめて結衣香を追おうと立ち上がると、視線を感じたのでフロアの出入り口を見ると、背の低い女性社員が目に入った。


 彼女は僕と目が合うと、キッと睨んでから扉を開けて出て行った。

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