第74話 コーヒー
「母さんが浅はかだったわ。あなたをまた傷つかせてしまったわね」
曉子の母佐知は、何も語らない曉子に何が起きたかはわからなかったが、自分が悟に会うことを許したことでひどく傷ついて帰ってきたことに驚き、そして後悔していた。
「何があったのか、話してくれるわね?」
曉子は小さく頷いた。
嗚咽は止まっていたが涙がひたすらに流れ、なかなか言葉が出ない。
佐知はまず座りなさい、と言ってリビングのソファを曉子に勧めた。
曉子がソファに座ると、佐知は少し待ってて、と言って台所に行き、湯を沸かしている間にコーヒーミルで豆を挽いた。
ケトルの笛がけたたましく鳴って湯が沸いた。
カップボードから佐知がお気に入りのカップ&ソーサ―を2組取り出し、ケトルのお湯を少量注いでカップを温め、フィルターでコーヒーを淹れると、曉子にもコーヒーの香りが感じられた。
コーヒーの香りには集中する効果とリラックスを促す効果があるという。
間もなく佐知はコーヒーをトレイに乗せてやってきた。
「いい……香り。ちょっと落ち着いた」
「それは良かったわ。あなた、学生の頃はあまりコーヒーが好きじゃなかったわよね?」
「うん、テスト勉強とかでミスドに行って、沢山お代わりしたりしたから、ちょっと嫌いになっちゃって」
「そうね。なんでも飲みすぎはだめよ」
「うん。それでね、」
佐知は意外と曉子が冷静に戻っているのを見てホッとしたが、反面、悟に対する憎悪は燃え上っていた。
まだ何も聞いていないが、曉子があれほどに嗚咽した原因を想像して。
「直接会って、この二か月間のことをお詫びしたかったの。お母さんに悟さんとのことを許してもらえて、少し舞い上がっていたのかな。私」
「あの人には会ったの?」
「ううん、インターフォンを押したんだけど、最初誰も出なくて。帰ろうとしたら、」
ここまで言いかけて曉子の目にはまた涙が。
「帰ろうとしたら、知らない女の人の声がインターフォンから聞こえてきて」
「なんてこと……」
佐知がいくつか想像していたシナリオの中で、最悪の結果だった。
「それで私、変な想像しちゃって、訳が分からなくなっちゃって」
「可哀そうな曉子。やっぱり、あの男はあなたには相応しくないわ」
曉子はそれでも佐知の意見には同意できなかった。
「ううん、お母さん。私が二か月も悟さんに連絡できなかったんですもの。酷いことをしたのは、私の方だわ」
「それはお母さんがあなたを……その、自由にさせなかったからじゃない。曉子のせいではないわ。たった二か月よ? あの男はそれすらも待つことができないのかしら」
「お母さんを責めているわけではないわ。相応しい相応しくないの前に、私は悟さんにとって、今現在どんな立場なのかなってそれが何だか悔しくて、悲しくて、情けないのよ」
「曉子、やはりあの男は私は絶対に許さない。どんな手を使ってでも懲らしめてやるから」
「それだけは止めて。もう、私が身を引けばいいことなんだし。また親子三人そろったんだから私はそれだけでも幸せよ」
「あなたの本当の幸せはそれだけじゃ足りないわ。あなたを縛り付けてきた母さんが言う資格もないのだけれど、これからはお父さんと一緒にあなたの幸せの事だけを考えるから!」
「お母さん、ありがとう。でも、いつまでも自立できない娘はダメよね。私も独り立ちできるように頑張るから。こんなことでメソメソしているわけには行かないわね」
佐知はそう言った曉子の成長を感じ、また自分のために曉子に対して様々な制約を設けてきたことに申し訳なく思った。
「じゃあ、この話はお終い。私、メイクをちょっと直してこないと。酷い顔しているわよね?」
曉子がそう言って自室に戻ろうとすると、インターフォンが鳴った。
「あら、宅急便かしら」
と言いながら佐知はインターフォンの画面を見ると見たことがない若い女が立っていた。
「どちら様でしょう?」
「りおんちゃんいます? あ、ごめんなさい。本名知らなくて」
インターフォン越しの女はそう言った。
「曉子、お店の同僚の方かしら? ちょっと出てみて」
「はーい」
そうは応えたものの、曉子の自宅を知っている「堕天使」の同僚などいないはずだ。
曉子はそのまま玄関まで行ってチェーンロックを外してドアを少し開けた。
「りおんちゃん、こんにちは」
そこに立っていた女は、三十代くらいの、あの悟の家から聞こえてきた声を持っていた。
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