第59話 メモ

「あまりいい連絡ができなくて、2か月も待たせてしまいました。私の見込みが少し甘かったのかもしれません」


 店長は、そう言って頭を下げた。


「いえ、こちらこそお任せしっぱなしで」


「それで、りおんちゃんのお母様との話し合いなんですが、例の教会に指南役が現れまして」


「えっ?」


「簡単に言うと、りおんちゃんのお母様を操っているんですよね。いちいち行動に指図をしているようで、お母様もその指南役に全幅の信頼を寄せているので少しばかり厄介です」


「何か突破口はないんでしょうか」


 僕は必死だった。


 ひょっとしたら拝むような恰好でもしていたのかもしれない。

 

 それほどに東堂さんを救いたいと思っていた。


「何とかお父様を見つけることはできないかと思ってですね。やはり教会に入信する前には、お父様が精神的な支柱だったようです。お父様としては自分ではなく、宗教に走ってしまった奥様のことがどうしても許せなかったようですね」


「今の話、やはりりおんちゃんから聞いたのでしょうか?」


「いえ、お母様から直接聞いています」


「お父様を見つけるにも、何か手がかりはないのでしょうか?」


 僕の問いに対して店長は、Yシャツの胸ポケットから折り畳んだメモを取り出して差し出した。


「ここに書いてある店に行ってみるといい」


 書きなぐったような文字で、「紅羽書店」と記してあった。


「紅羽書店、ですか?」


「フランス古書の名店ですよ。富士見にあります。最寄りの駅は飯田橋です」


「ここで働いているのですか?」


「いいえ、離婚してから職は変わっているようで元所属していた会社は退社していました。この古本屋でお父様を見かけた、という複数証言を教会関係者から得ています」


「では、少なくとも複数回この紅羽書店には通っている可能性が高いということですね?」


「ええ、そうなります」


 比喩ではなく、完全に「一縷の望み」だ。


 カンダタが手繰り寄せた蜘蛛の糸みたいにぼくには思えた。


「貴重な情報をありがとうございます」


「いえ、この程度のお手伝いしかできず、本当に申し訳ありません」


「店長さん、そんな。ここまでしてくださってむしろ感謝ですよ」


「これでりおんちゃんが戻ってくれば、店としても、私個人としても嬉しいのですが」


 店長は少し弱気な表情を浮かべた。


 この人は基本的に善人なんだと思う。この業界には似つかわしくないほどに。


「おい、水野、結衣香、そろそろ帰るぞ」


 水野は姉小路と話し込んでいて、結衣香はそれを横目に見ながらスマートフォンを弄っていた。


 立花美瑠にいたってはすっかりあすか嬢を独り占めしている。


「じゃあ、俺僕は一人で帰るね」


 僕はそう言うと、改めて店長に礼を言ってから「堕天使」を後にした。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


エレベーターを一階で降り、雑踏に踏み出す刹那後ろから僕に声がかかる。


「先ぱーい! ちょっと待ってください!」


 結衣香だった。


「どうしたんだ? お前ももう少しあそこに居ればよかったじゃないか」


「ぼくはいいですよ」


「『堕天使』に行こう、って言いだしたのは結衣香だよな」


「えへへ、そうなんですけどね。もう先輩は用事済んだみたいだしいいかなって」


「まあそうかもな。ところで飯田橋にある『紅羽書店」って知っているか?


「あー、知ってます。学生のころ何度も行きました。私フラ語専攻だったんで」


「そうだったっけか?」


「先輩、ひどいっすよ。結構人の話聞いてませんよね?」


「よく『自分に興味があるものしか話を聞かない』って言われてたかもな」


「本当に先輩のそういうところ直した方がいいですよ!」


「わかった、わかったって。で、今度一緒に行ってくれないか? その『紅羽書店』に」


「私が? ま、まあいいけど」


 結衣香は少しふくれっ面で僕にそう答えた。

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