第60話 心の安全装置

「ねえ先輩」


「ん? なんだ?」


「もしよかったら、これから一緒に食事行きませんか?」


 結衣香のやつ、もうすっかり吹っ切れているみたいで良かった。


 そんな事、僕が言える立場ではないんだけど。

 

 それでもやっぱり結衣香とは同じ部署の同僚である以上に、普通に接していたいと思うし、変なわだかまりは消し去っておきたいのは正直なところだ。


「ああ、いいよ。腹ごしらえもせずにいきなりキャバクラ行くやつってあまりいないかもだぞ(笑)」


「先輩は何が食べたいですか?」


「結衣香はどうなんだよ? 何か食べたいものがあれば言ってみな」


「そうですねえ、ラーメンとかでも全然いいっすよ」


「ラーメンかぁ。 嫌いじゃないし、むしろ好きな方だけどパッと食べてパッと店を出るような感じになるけどいいのか?」


「あ、そっか。ぼく、正直ちょっとだけでもいいから先輩と二人で話したかったっす」


 そんなことを言われると、ちょっと身構えてしまう。

 

 でも、ぼくはそれを受け止めないといけないと思った。


「そうだなー。もし嫌じゃなかったら、焼き鳥でも食べに行くか?」


 結衣香はその提案が気に入ったようで即答した。

 

「いいっすね。どこか美味しいところ知ってるんですか?」


「そんなに高くないけど、めちゃくちゃおいしい所を真島課長に教えてもらったことがあるぞ。そこでいいか?」


「全然いいっすよ。そこに行きましょう」


 ぼくと結衣香は、電車で二つ先の駅で降り、駅裏にある小さな焼き鳥屋に着いた。


 いい感じに出来上がった中年サラリーマンたちで一杯だったため、店の外に置いてあるベンチで少し待たされたが、5時ごろまで降っていた雨は上がっていて柔らかく吹く風が心地よかった。


「なあ、結衣香」


「ん? なんですか」


「すまないな。ぼくの個人的なことに巻き込んで」


「あー、いいっすよ。ボクはりおんちゃん、好きなんで」


「え?」


「まあ、応援してるっていうか。先輩、ボクがいつまでも引きずってると思ってました?」


「い、いやそんな事」


「先輩、女はね、結構ドライなんですよ。いや、違うな。ドライっていうんじゃなくて自分を守ろうとする力が強いんです」


 自分が傷つかないように、受けたショックを忘れる力なんだ、と結衣香は言った。


「だから先輩、もうボクに変な気を使う必要はないっす。昔みたいに接してくれれば」


「わかった」


「それから先輩、ボクに気を使うってことはりおんちゃんへの裏切りでもあるんですからね」


 確かにそうだ。


「ああ」


「お待ちのお二人様、お待たせしてすみません。今席ご用意してますんで中に入ってください」


 ついさっき、二人組の客が出て行ったのでそろそろかな、とは思っていたけど、思ったよりも待たされなかったな。


 テーブル席に通され、結衣香はメニューをめくった。


「結衣香、食べられないものはあるか?」


「たいていのものは大丈夫っすね」


「じゃあ、『お任せ』にするといいよ」


「じゃあそれで」


 こんな些細なことでも、ぼくを信用してくれる結衣香には感謝したい気持ちになった。


「すみません、オーダーいいですか?」


「はい只今! 何にしましょう?」


「ぼくは而今じこんを。結衣香は飲み物どうする? ここのマスターの日本酒のセレクションは神だぞ?」


「えー、じゃあ何かおすすめありますか?」


「塩とたれで違ってきますね。お客さんたちは今日は『お任せ』で?」


「ええ」


「だと基本塩なんで、『やまとしずく」なんてどうでしょう」


「どんな味ですか?」


「口当たりがさっぱりしていて、微妙な塩加減を台無しにしません」


「へぇ、それじゃあそれをいただきます」


 オーダーを取ってくれた店員さんがいなくなると結衣香は、


「真島さんっていい店をよく知ってますよね」


「まあ胃袋を掴んだ営業が得意だって言ってたけどな。でもお客さんの接待で使うようなお店じゃないところばかりだ。おそらく今の話は照れ隠しなんだろうね」


 最初に絶妙に焼き上げて梅肉と紫蘇の千切りが添えられたささみと、それぞれ注文した冷酒が運ばれてきた。


「じゃあ、先輩、乾杯しましょう」


「なんの乾杯だ?」


「そりゃ、りおんちゃんを奪還する決起大会ですよ」


「ははは、それは良いな。ありがとう、結衣香」


 結衣香は笑ってグラスを合わせてくれた。

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