第87話 でもお母さんは反対よ!
「ただいま」
暁子さんは玄関の扉を開けて帰宅を告げた。
「おかえり」
「おかえりなさい」
家の奥の別々の部屋から暁子さんのご両親の声がした。
まもなくお母さんが玄関口までやってきて、
「尾上さん、お買い物に付き合ってもらってしまって済みませんでした。荷物、重いでしょ?」
と労ってくれた。
つい数ヶ月前には「警察に突き出す」とまでこの場所で言われたのが少し懐かしい。
「いいえ、今日は特に用事もなかったですし、お役に立てて嬉しいです」
「尾上くん、君が箱詰めしてくれた荷物なんだがな、本当に整理されていて片付けが捗って助かったよ」
少し遅れてお父さんもやってきた。
「では、お邪魔してお手伝いします」
「いやいやいや、それには及ばんよ。ゆっくり自分でやるから、君は居間でゆっくりしてくれ給え」
「お父さん、悟さんそのために来たんですからね」
「暁子、それはそうだが、一服してもらったらどうかね」
「そんなこと言って、お父さん甘いものとがコーヒーを飲みたいのはバレバレなんだからね!」
親子の間のわだかまりみたいなものは、既になくなっている。
とても仲が良い親子だな。
ウチも仲は悪くないと思うけど、兄さんが出ていってしまってから、家族団欒という言葉が少し遠のいているような気がしていた。
「銀座三越の地下でコレを買ってきたのよ」
「なんだ、暁子の好きないつもの奴だな」
「お父さんだってこれ好きじゃない? チョコクリームが挟んであって好物だって言ってたよね?」
「ささ、お持たせですが、尾上さんも一つどうぞ⁈」
「さて、豆を挽いて来るとするかな」
「今日は何かしら、あなた」
「今日はハウスブレンドだぞ」
この一家はどうやらコーヒーを飲みながら甘い物を食べるのが大好きなようだ。あれ?
ついこの間お父さんのマンションでほぼ同じようなシチュエーションがあったばかりだけど、毎日のようにこういう事が繰り返されているのだと想像できた。
ところでキリマンジャロじゃなかった?
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「曉子、月曜日から復帰大丈夫そうだな」
暁子さんはいつもよりも明朗に答えた。
「ええ、大丈夫よお父さん」
「お母さん、聞いておきたい事があるよ」
お母さんが少し心配そうな顔をして言った。
「夜のお仕事は辞めるんでしょう?」
僕は思わず暁子さんの顔を見た。
「迷っているの」
暁子さんは口が重かった。
「何を迷っているの?」
「私たち親子が今までこうして暮らせてこれたのは、お母さんが『辞めなさい』と言っている夜のお仕事のおかげなの」
「お母さんをまたそうやって責めるのね」
「違うの!」
「何が違うのよ」
「佐知、まあまあ。尾上くんもいる事だし」
「尾上さんがいるからこそこういう事はハッキリさせないと! で、尾上さんも辞める事に賛成ですわよね?」
うわ、やはりこの状況は不可避だよね。
「僕は暁子さんが、今の職場に恩返しができていないと感じているのだと思います。僕たちが結婚したらやはり辞めて欲しいという気持ちですが」
「暁子、そうなの? 何を恩に着ているの?」
「経済的に支えてくれた仕事ということもあるけど、何も知らない世間知らずの私に、本当に熱心に仕事を教えてくれたし、悩みや相談事をいつも仲間が聞いてくれたのよ」
「でもお母さんは反対よ!」
暁子さんのお母さんがこう言い出したらそれを覆すことはかなり困難な事は体験上わかっている。
「納得できたら辞められるのかい?」
お父さんは少し暁子さんの話を聞こうとしている。
これはお父さんを味方につけた方がよさそうだよ、暁子さん。
「辞めるにしても、今日の明日で辞められるわけでもありません。何と言っても暁子さんは『堕天使』のトップですから」
ポカンとした顔をするお父さんとお母さん。
「この子が? まさか」
「お母さん、本当ですよ。店長にそう聞きました」
暁子さんは真っ赤な顔をして俯き加減に言った。
「辞められない理由はそこにもあるわ」
あ、僕は完全に勘違いをしていた。
暁子さん、この仕事を愛してるのか!
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