第94話 大変申し訳ありませんが、退店いただきます

「お客様のご都合が変わったのよ」

 エリカさんは事も無げに言い放った。


「エリカ、てめぇ何企んでいやがる?」

 エリカさんに猜疑心をもつ姉小路が少し低いトーンでエリカさんに突っかかった。


「まあまあ、お客様の前ですよ。二人ともそのくらいにして。仲井様、こちらのボックス席にどうぞ」

 そう言って沙織さんが仲井さんの着席を促した。沙織さんはこういう所が気が利いている。


 不穏な雰囲気に曉子さんのご両親も少し緊張した面持ちだ。


 仲井さんが着席すると、エリカと沙織も仲井さんを間に挟むように着席して乾杯用のドリンクのオーダーをシオンくんに伝えた。


 曉子さんは気が気でならない様子だ。

 もし仲井さんが――僕は見たことはないのだが―― セクハラ行為を働いたりしたら、曉子さんのご両親のこの仕事に対する心象は確実に落ちる。


 もちろん、現実を知ってもらったうえで認めてもらえるのならばそれに越したことはないが、そうでなければ曉子さんの願いはかなわなくなってしまうかもしれない。


 そんなことを考えているうちに仲井さんのいるボックス席は乾杯が始まって俄かに盛り上がっていた。


「イエーイ、今日はボトル入れちゃうぞ? そうだな、山崎の12年とかあるの?」


「山崎の12年は最近人気がありすぎてなかなか入荷しないのよ」


「じゃあエリカちゃんのおすすめは何?」


「仲井様ってバーボンはお好きだったかしら?」


「うーん、嫌いではないかなあ」


「じゃあ、月並みですけど『Makers Mark』はいかが?」


「『Maker’s Mark』か……月並みだね(笑)」


「もう! Maker’s Markでもカスク・ストレングスっていう数量限定品が入ってね。それはどうかしら?」


「普通のとどう違うの?」


「ちょっとビターチョコみたいな風味がするんだって。私、バーボンはそんなに飲んだことないんだけど、もし仲井様が入れてくれるならちょっと飲んでみたいなぁ」


「そうだな、じゃあそれ、もらおうか」


「仲井様、Maker’s Mark カスク・ストレングス一本いただきました!」

  

 盛り上がるボックス席の一方、曉子さんのご両親は極めて冷ややかな目線を仲井さんに向けて沈黙していた。そしてお父さんが一言、


「曉子はああいう客の対応もするのかい?」


 一瞬曉子さんは躊躇ためらったが、

「うん、お客様も……いろいろだから」


 その刹那、ボックス席から沙織さんの悲鳴が上がった!


「もう! 仲井さんのエッチ!」

 

「なんだよー、減るもんじゃないし。ちょっとその柔らかそうなおっぱいの感触を試しただけじゃないか」

 どうやら仲井さんのセクハラが始まったようだ。


 同伴してきたエリカさんはニヤニヤしながら沙織さんと仲井さんのやり取りを見ている。止めるでもなく、ただ、ニヤニヤしている。


「ねえ、曉子、あなたもあんなことされたりするの?」


「お母さん、正直に言うわね。決して正しい事じゃないけど、私もされたこと、あるわ」


「まあ、なんて事!」

 お母さんは動揺し、怒りさえ覚えていることが僕にもわかる。


「曉子、やっぱり私はあなたがこのような職場で働くことを認めるわけには行かないわ!」

 そう言い放ったお母さんに対して、曉子さんが何か言いかけた瞬間、仲井さんのいるボックス席で異変が起こった。


「仲井様、大変申し訳ありませんが退店いただきます。そして二度と弊店にはお越しにならないようお願いいたします」

 葉山店長が毅然と言い放った。


「てめえ、どういう意味だ? 俺は客だ。金だって払っている。なぜ出て行かなければならない?」


「弊店が定める規約に違反したからです」


「規約? そんなの知らねえし、説明を受けたこともない」


「仲井様、弊店では接客社交従事者、平たく言ってキャバクラ嬢に対する性的接触は禁止となっています」


「キャバクラがそれ否定しちゃうの? ハハっ、自縄自縛だね」


「仲井様が行くべき店は当店ではなく、いわゆる性風俗特殊営業店ですね。ファッションヘルスやソープランドなどがそれにあたります」


「四の五のうるせえ。俺は癒されにここに来てんの。細かいこと言うなよ。ホラ、Maker’s Markも入れてやったんだからさ」


「チャージを含めてお代は結構です」


「ああっ? どういう意味だ?」

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