第95話 シオン君、警察呼んで

 仲井さん、怒りが頂点に達していきなり立ち上がった。背は長身の葉山店長よりも10㎝は低く、見上げる形になった。


「な、なんだよ! 客を見下ろすような店なんかここは!」


「今、『客』、とおっしゃいましたね。私は『お代は結構です』と申し上げたはずです。なのでアンタは客ですらない」


「て、てめぇ!」


「シオンくん、警察呼んで。 これは傷害沙汰です。仲井様」

 胸倉をつかまれた葉山さんは、事も無げに言い放った。


「警察を呼ぶだと? 呼んだらアンタたちが困るんじゃねえのか? 『叩けばホコリが出るような業界』なんだろ? ええっ?」

 

 自信満々に反撃したつもりの仲井さんだったが、次の葉山店長の返事に凍り付くことになった。


「アンタさ、俺たちがどれだけ努力して公明正大に商売やっているか理解していないだろう? 俺にはさ、アンタみたいな客の面したゴキブリみたいなやつからこの店と、女の子たちを守らなきゃいけない責任があるんだよ。俺は絶対に見過ごすことはしない。覚悟しろ」


 気が付くとシオン君をはじめ、男性のホールスタッフ全員がボックス席を包囲していた。

 そして沙織さん、姉小路、曉子さん全員が葉山店長のセリフに感動していた。

「て、店長……そんなにアタシたちのこと……」


 姉小路にそう言われて店長は一瞬照れた表情をしたが、直ぐに真顔に戻った。


「おいおい、冗談だろ。ちょっとこの女沙織のおっぱいを触っただけじゃねえか」


「冗談は顔だけにしてほしいのはあんたの方だけどな。じゃあ好きでもない男にアンタのイチモツをいきなり触られてアンタは冗談で済ましてくれるのかい?」


「それとこれとは話が全然違うだろ? 何言ってんだ」


 ここでいきなりエリカさんが会話に乱入した。


「店長、酷いですよ。私がせっかく取ってきた上客なのに。仲井様に謝ってください!」


「エリカさん、申し訳ないがこの店の掟を破ったのは君も同じだ。あとで話がある」

 葉山店長はもともとシュッとした強面だが、ここまで鬼気迫った表情は見たことがない。

 エリカさんは継ぐ言葉が見つからず、俯いてしまった。


「さあ、どうします? 自らご退店いただくか、こちらで警察を呼ぶか」


「お、覚えていろよ、絶対俺はこのままじゃ済まさねえからな!」

 

 仲井さんはそうお決まりっぽい捨て台詞を吐いて、「堕天使」を出て行った。


 葉山店長は、その他のお客様にこの騒動を詫びて、深々と謝罪のお辞儀をするだけでなく、


「さあ、みなさん、お詫びの印として『Maker’s Mark』を1時間フリードリンクにいたします」

 と言ってゴタゴタのアフターフォローも欠かさない。


「さあ、エリカさん。バックヤードへ」

 最後にそうエリカさんに促して先に事務所のドアを開けて入っていった。


 エリカさんも渋々葉山店長に続いてドアの中に入っていった。


 エリカさんの姿を目で追っていた曉子さんは、ハッと気が付いて両親の方に振り向いた。


「曉子」

 お母さんの一言で重苦しい雰囲気が漂った。


 次の言葉はなんだろう、そんな不安な表情を浮かべる曉子さん。

「お母さん、さっきは『このような職場』なんて失礼なことを口走ってしまったのを後悔しているわ」


「えっ⁉」


「こんなにしっかりした従業員思いの店長さんがいらっしゃるなら、私、あなたがここで働くのは賛成よ」


「お母さん……」


「お父さんもだ。曉子の同僚の皆さんの姿を見ていると、なんていうのかな。お客様が安らぎを求めてきていることに真摯に対応しているのがわかる。そして店長さんが素晴らしい」


「お父さんまで……」


 少し涙ぐんだ曉子さんはとても嬉しそうに見えた。


「りおん、良かったな」

 

「クレアさん、でしたっけ? この子をくれぐれもよろしくお願いします」

 

 お母さんは姉小路に深々と礼をした。


「そうですね、私がこの店にいる限り……」


「あら、お辞めになる予定でも?」


「いやいや、キャバ嬢なんてずっとひとところの店にいることなんて稀ですよ。それに……」


「それに?」


「アタシ、もう三十路なんで。大体みんなこれくらいの歳で引退、って感じなんで」

 

「クレアさん! 絶対やめないで!」

 涙が溢れた曉子さんは姉小路に抱きついて懇願した。


 姉小路は寂しそうな表情をしながら、


「今は、お前の面倒を見てやるから安心しな」


 と優しく曉子さんの髪を撫でた。



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