第68話 融解

「なんだか出来過ぎた話だよ。親子で同じようなことを繰り返すってね」


「わ、私はだからと言ってあの男のことを許すわけはないわ。曉子には、もっといい人が……」

 そう言った佐知に反論しようとした宜史を制して曉子は言った。

 

「お母さん、あの男、っていうけど、悟さんの事、どれだけ知っているの?」

 暫く沈黙が続く。


 果たして佐知から答えは得られなかった。


 佐知は空虚な想像を頼りに、悟を憎悪し、糾弾し続けてきた。それが今、自分でも筋の通っていないことだと思えるようになったからだ。


 そんな佐知に、曉子は今までのことを心の中で水に流した。


「お母さんには、本当の悟さんのことを知って欲しいの。」


「尾上君は、どんな男なんだい? 曉子」


 宜史も、曉子の解放の事ばかり考えていたため、尾上 悟という人物が、自分の愛娘にとってどんな存在であるのか測りかねていた。


「悟さんは、とにかく素敵な人なの! どんなことにも親身になってくれて、仕事も出来て、衛伯父様にも認められるくらいね。実は、私、5年前からずっと悟さんの事が好きだったのよ」


「そんな前から……曉子」

 佐知は、また曉子に隠し事をされていると誤解した。


「お母さん、違うの。大学の進路を悩んでいた頃、衛伯父さんが悟さんを紹介してくれて、その時も親身になってアドバイスしてもらったのよ」


 佐知は、受験のさなか進路で悩んでいた曉子が、義弟の衛の会社から晴れ晴れとした表情で帰ってきた時のことを思い出していた。


「慶法大を進めたのは、その人のお陰なのね」


「そうよ。おかげで私、4年間とても有意義に過ごせたわ」


「それで曉子は尾上君のことを?」


「恥ずかしいわ。でも、そうなの。お父さん」

 宜史も、佐知も、曉子の嬉しそうな顔を見て心が和んだ。


「曉子、お母さんが悪かったわ。あなたに酷いこと色々してしまって本当にごめんなさい」

 その時、曉子は思わず佐知を抱きしめた。


(あれ、お母さんって、こんなに背が低かったかしら。そして、こんな華奢な身体だったのかな?)

 そして抱きしめながら、母との距離が今まで離れすぎていたことに気が付いた。


 佐知は佐知で、突然娘に抱きしめられ、言葉をまたも失っていたが、思い直して言った。


「曉子、お母さんは、どうしたらいいかしら……その、どうしていいかわからないのよ」


「佐知、俺から一つ提案があるのだが」

 宜史は、閉ざされていた佐知の心が、少し融解してきたこのタイミングしかないと思って考えていたことをぶつけてみたのだ。


「俺は、君を救いたい。君を救う事で曉子を救うことになるんじゃないかって、そう思っているんだ」


「救うって、私を? どうやって?」


「もう一度、やり直せないか? もう、佐知を家庭内で一人になんて絶対にしない」

 佐知はその言葉に反発がなかったわけではない。


 しかし、その気持ちを抑え込んでか弱い声で言った。

「本当に、私を、曉子を幸せにしてくれるの?」



「ああ、そのつもりだ。研究もほどほどにする。約束する。今までの時間は取り戻せないが、これからの時間を、一緒に作っていかないか?」


「都合、良すぎるわよ……あなた」


「ああ、そうだよな。すまない。でも本気だ」

 

 曉子は宜史の提案に驚き、そして涙を止めることができなかった。


「お父さん、ありがとう。お母さんを、大切にしてくれるのね?」


「ああ。男に二言はない。佐知や曉子ともう一度やり直せるなんて、もう二度とチャンスはやってこないと思う。この通りだ。受け入れてほしい。」


「か、考えさせてもらうわ」

 佐知は、落ち着いて考えたいと思った。


 教会のこともある。

 洗脳されたふりをしていたが、その実、佐知は洗脳されたふりをすることでしか娘を繋ぎとめることができなったのだ。


「ああ、ゆっくり答えてくれればいいさ」

 宜史は改めて佐知と曉子に頭を下げた。


「お父さんも、心を入れ替える。きっとお前たちを幸せにするから」


「来週の土曜日に、またここに来てくださるかしら? あ、それから曉子、尾上さんも一緒に」


 それを聞き、もう2か月間笑うことなどなかった曉子の顔が、ぱっと明るくなった。

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