次の試練

第69話 社会復帰

 東堂曉子は、2か月以上に及ぶ自宅軟禁の末、軟禁の主体者である母親とも和解したがいまだに体力は完全に戻ってはいなかった。


 取り上げられていた携帯電話は母親から返却され、もう、誰といつ何を話しても問題はなくなった。


 父、宜史も曉子の母、佐知との復縁を前提に曉子たちが住んでいる自宅に戻ってきた。

 宜史の書斎は、手つかずだったのだ。


 宜史は早速実弟の衛に連絡をして、

「曉子がようやく解放されたんだ。会社に復帰させたいと思っているのだが、スムーズにいくものかな?」

 と訊いた。


 新入社員がいきなり五月病にならない前に休職したのである。


 いろいろとある事ないこと噂になっていることだろう。


「兄さん、そのことなんだが」


「どうした、やっぱり難しいのか?」


「俺は曉子が自分の姪っ子だってことを全く会社には言っていないんだ」


「本当か? じゃあお前の部下であることはホンの偶然ってことか」


「ああ、そうなんだ。曉子は今、吉永姓ではないだろう?」

 佐知は宜史と離婚した後、直ぐに吉永姓を旧姓に戻したのだった。


「ああ、そうだったな」


「曉子の実力なら、俺のコネなんて使わなくても岩田電産なら何の問題もなく入社できたさ。それで、佐知義姉さんと再婚すると曉子はどちらの姓を名乗るんだい?」


「曉子はもう立派な成人だ。曉子が決めればいいと思っているよ。お前に面倒を掛けたくないから、そうだな。東堂を名乗っていればいいと思っている」


「まあ、俺のことはさておき。会社にはいい機会だからバラしてもいいかなとは思っている。購買部からは配置転換されるかもだがな」


「それは仕方ないさ。ともかくどちらの姓を名乗るとしても、衛、頼む。曉子を見守ってやってくれ」


「それは勿論だよ、兄さん」

 その後少し世間話をして、7月1日から復帰することで話がまとまった。


 衛は吉永姓に戻すことで、曉子が新たな社会人生活を送れるのではないかと思っていた。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

「ええっ? 私の姓を吉永に?」

 食欲が戻り、少し体重も戻ってきた曉子は、宜史からの提案―― つまり曉子の最初の名前に戻すこと ――に少し戸惑った。


 両親が離婚するまでの名前、吉永 曉子に戻るか、大学、社会人で名乗り慣れた東堂 曉子であり続けるか。


 自分のアイデンティティの問題でもある。


「お父さん、ありがとう。でも少し考えてみたいの」


「慌てることはない。ゆっくり考えなさい。お父さんとお母さんが再度席を入れたとしても、曉子は自分の名乗りは自分で決められるんだ」


「うん、……そうだね」

 曉子は悩んでいた。

 吉永姓を名乗ることの良し悪しを測りかねていた。


 (そうだ、悟さんに連絡をしなくっちゃ。この件、相談に乗ってくれるかな?)


 母佐知が悟の存在を認めてくれた事を喜んだ曉子であるが、母のせいとは言え、2か月以上も会うことはおろか電話で話すことも出来ずにいたのだ。


 電話で何を言えばいいんだろう。


 突然、曉子は悟に猛烈に会いたくなっていた。


(電話ではなく、直接悟さんに会ってこの二か月間の事、話さなきゃ)

 そう呟くや否や、二階の自分の部屋に駆け上がり、出かける支度を始めた。


 今は日曜日の朝だ。


(ひょっとしたら悟さん、家にまだいるんじゃないかしら。ちょっと驚かせたいし、行ってみようかな)

 ちょっとした悪戯心が発露するほどに曉子の心も解れていたのだ。


 曉子は七分袖のネイビーカラーのカットソーとボーイフレンドジーンズを合わせてみた。

(まだ、ちょっと不健康そうな顔色ね)


 三面鏡に映る自分の顔に少し不満気だったが、悟に会いたい気持ちがそれを凌駕していた。


「少し外に出てくるわ」


「あら曉子。尾上さんと約束したのかしら?」


「い、いや、そういうのじゃないけど。お母さんも連れてきなさいっていうし。今日はちょっと会いに行くだけよ」


「曉子、もうお母さんはあなたの邪魔だてなんてしないわよ。私のことは気にしないでね」


「お母さん……ありがとう。本当に、ありがとう」

 梅雨の中休みのような晴れの日。


 曉子は両親に見送られて家を出、悟の住む町まで続く電車に乗った。

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