第92話 エレベーターで
「佐知、ここでいいんだよな」
「え、ええ、あの子からもらったメールにはこの住所が」
曉子さんのご両親が「堕天使」の入るビルの前で場所の確認をするために少しおどおどしながら、煌びやかな、いや、ちょっと淫靡な感じすらする看板がちりばめられたビルのテナント案内を見ていた。
「曉子さんのお父さん、お母さん」
「おお、悟くん。良い所に来てくれたね」
「尾上さん、私たち、その……このような場所には近づいたことすらありませんのよ? ちょっと緊張しちゃって」
まあこのお二人ならきっとそうなんでしょうね。
分かりますとも。
かく言う僕も、実はいまだに慣れたとは言いがたいんですけど。
「曉子さんはもうシフトに入っていらっしゃいます。店長さんのご意向もあって、今回お二人が来ると言っても何か細工をしたり、そう言うことを一切排除してありのままの勤務の状態をご覧いただきたいとの事です」
「そうか、実に潔い方だな」
「ええ。おそらく曉子さんも店長をとても信頼しているんだと思います」
今日は、曉子さんが僕について行ってして欲しいとのリクエストをしてくれたのでご両親とビルの入り口で待ち合わせたんだ。
(お父さんもお母さんも、キャバクラのシステムは分からないし、悟さん、お願い。二人をサポートしてあげて欲しいの)
僕もキャバクラが詳しいわけじゃないけど、
「じゃあ、お店に入りましょうか?」
僕はそう二人を促して、定員がたった六名のエレベーターに乗って、堕天使のある五階のボタンを押した。
油圧式のエレベーターはやたらに上昇速度が遅い。
間が持たない、などと思っているとお母さんが蒼白な顔で口を開いた。
「あ、あなた、やっぱり私……帰りたいわ」
「佐知、ここまで来たんだ。ちゃんとあの子の働く姿をみて、きちんと判断しないとフェアじゃない」
「そうじゃないの。私、ここの責任者の方に本当に酷い事を電話で言ってしまって」
そういえばお母さんは葉山店長に娘を辞めさせるためにかなりの暴言を吐いたと言ってたな。
「店長はその事についてはもう過ぎた話だと仰ってます。それから、この様なお店に入ったことのないお二人が不安になることも僕は理解できます。実は僕もそれほど慣れているわけではないんです」
「あなたはこういう所が好きで来ているわけではないってことかしら?」
「ええ、このお店に来るきっかけは、私の上司から無理やり連れてこられたってことなんですよ」
「その上司の方はこういう店が得意なのかね?」
「ええ、得意というか大好きですね(笑)」
「ううむ、そうなのか」
僕の言い方が悪かったのかな。
真島課長を少し誤解させてしまったようだ。
「上司は課長の真島といいまして、彼はバツイチの独身ですから出会いを求めているという事もあるのじゃないかと僕は思っているんですよ。普段は僕の事をしっかりと面倒を見てくれる頼りになる上司です」
「そうか。つい君の上司を悪し様に思ってしまった。申し訳ない」
「いえいえ、申し訳ないなんて。子供みたいな所がある人なんです。それほど人徳があるわけでもありませんよ」
「私はその、他人からどう思われているか、なんとなく知っているんだ。堅物とか、融通が利かないとかなんとか」
「あなたは学問ばかりでしたからね。私も家に閉じこもってばかりで世間知らずでこの歳まで来てしまったわ」
そんな話をしていると軽いショックと共にエレベーターは五階に停止して扉が開いた。
内廊下の左右にバー、キャバクラ、スナックが数軒ある。
エレベーターから一番遠い左側が堕天使だ。
「さあ、行きましょう。店に入ったら僕に任せてください」
二人は落ち着きなく僕に従って歩いて着いてきた。
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