第40話 ぼくは三十路

 東堂さんに去り際にキスをされ、動悸が収まらないまま家に着いた。


 まだ6時を少し回ったところだ。

 

 新宿南口に10時か。


 まだまだ時間には余裕があるな。


 9時に出るとして、少し仮眠をとっておいた方がいいかもしれない。


 おっと、その前にまずシャワーだな。


 僕は一晩中着ていたスーツを脱いで無造作にリビングのソファーに投げ捨てた。


 そのまま脱衣所に行ってワイシャツを脱いだ。


 鏡に少し弛んだ自分の上半身が映っている。


 ぼくも、もう三十路なんだ。 


 お腹が出ているわけではないが、引き締まっているような感じでもない。


 相手は22歳とか、23歳ってことだよね? 正直引け目を感じてしまうな。


 自分でオジさんとか言いたかないけど、彼女から見たら僕はその類だろう。


 本当に僕なんかでいいのだろうか。


 シャワーから出た。


 頭をドライヤーで乾かして、ひと眠りしようとベッドに横たわってみたけど、さっきの……電車でのあのシーンが何度も頭の中によぎって眠ることができなかった。


 今のぼくはまるで中学生みたいじゃないか。ただ悶々として、もどかしい気持ちをどうすることもできない。


 勿論、過去に恋愛をした事がないわけではない。

 

 高校生の文化祭の打ち上げの時、部活の後輩の女の子から告白されて、打ちあがる花火を見ながらキスをしたのが初めてだった。

 

 思えば実に幼い恋だったと思う。結局その子とは残念ながら大学受験を機に別れた。

 僕が名古屋から横浜に戻ることになり、その子が遠距離恋愛を拒んだからだ。

 

 その後、大学生時代にも付き合った彼女はいた。

 

 そして5年前の元カノだって。


 その女の子との初めてキスだって何度かしたけど、こんな感覚は初めてだった。


いつも控えめで奥ゆかしくて、僕が家に誘ってしまったら怖がったり、でも勇気を出して「もし、悟さんがご迷惑でなければ……お邪魔させてもらいたいです」なんて言ってくれたり。


 本当に僕でいいの?


 僕に、どんな取り柄があるっていうんだろうか。


 だめだ、またネガティブなことを!


 いろいろ考ええ居るうちに、眠ることなく8時になってしまった。


 (♪~)


 メールの着信音がした。会社の携帯だ。


 「SMS 真島課長」と表示がある。


 まさかとは思うけど……岩田電産の件で今日出社して来い、とか書いてあるんじゃないだろうな?


 恐る恐る片目を瞑りながら携帯のロックを解除してショートメールを読んだ。


「5年童貞卒業おめでとう! がんばれよ!」


 ぼくは思わず枕をめがけてスマートフォンを投げつけた。


「5年童貞ってなんだよ! ヨッシーさんって本当にバカだな‼」


 思わず叫んでしまったが本当にあの人は……まあ、課長の定義で言えば僕はまだ5年童貞なわけだけど。


 僕はあの時無理やり映画を選択してしまった。


 あんなことを言ってくれたのだから、東堂さんなりに決心してくれていたんだろう。泣きそうな顔をしたあの時の東堂さんに、今更ながら心の中で詫びた。


 三十路で、とりえのない僕には、あなたと一晩をここで過ごす勇気がなかったんだ。


 気を取り直して冷蔵庫からトマトジュースを取り出して、飾り気のないデザインのデュラレックスのコップに注いで一気飲みした。


 弱いトマトの酸味のおかげか少し目が覚めた気がした。


 ぼくは青いトマトなんかじゃない。


 完熟のトマトなんかでもない。


 彼女に、三十路のカッコいいところを見せてやろうじゃないか。


 あんなに素敵な女の子が僕のことを5年間も前から思いを寄せてくれていたなんて 自信を持たなきゃ。


 軽くトーストをかじって歯を磨き、OCIVALの青と白のボーダーのカットソーを着て、ジーンズを履くと、ぼくは家を出て駅に向かった。


 駅に着き、ホームに上がると、僕は、


「さあ、今日は昨晩の敗者復活戦だ」


 ひとり呟いて、ひとまず東京方面の電車に乗り込んだ。

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