第6話 艶の極みなる亀寿ノ方さま





 ふと亀寿ノ方さまの身が心配になったお涼は、急いで奥御殿に駆けもどった。


 払暁から襷掛けで荷物を運び出していた侍女たちは、だれかが箒で掃き出したようにきれいに消えており、がらんとしたお部屋には、あるじの亀寿ノ方さまがただおひとり、今日を限りに見納めとなる、お父上ご丹精の庭園を眺めておられた。


 南国には珍しく抜きん出た色白で、搗きたての餅のごとくきめの細やかなお肌。姑息や卑劣とは無縁の広やかなお心と同様、ゆったりと大柄なご肢体に、春野の上空を北帰する渡り鳥模様の小袖が、惚れ惚れするほどよくお似合いでいらっしゃる。


 並外れた聡明を物語る富士額。2枚の柳葉を置く優美な眉。すっと小刀で引いたような切れ長の双眸。細く通った気品ある鼻梁……。ふくよかな丸顔に、造形美の極致が絶妙な平衡で配されている。朝露に濡れた薔薇の蕾のような唇は紅を引かずとも鮮やかに紅く、女のお涼も手を伸ばして触れてみたくなるほど艶めいていた。


 できればお涼は、口に手を添え、大音声で城内に触れまわってやりたい。


 ――宿願の「三州統一」を果たされた妙谷寺(義久)さまが新たなご本拠とされたのが当鶴丸城。亀寿ノ方さまにとって紛れもないご生家であられます。なのに、太閤の命で再婚させられた、その夫の手により、いま、ご無体にも追放されようとしておられます。何とも浅ましい、人の道にもとる行為ではござりませぬか。現世うつしよにつきものといえども、今回の事態に勝る不条理がありましょうや……。


 憤激のお涼に透き通る横顔を見せたまま、亀寿ノ方さまはもの静かに呟かれた。


「春が来れば木々は芽吹き、花が咲く。夏には灼熱の太陽を受けてそれぞれの生命を謳歌し、秋風が吹けば葉も花も散り、冬には土に帰する。そうして、万物は事もなく経巡って行く。であるならばお涼、何をくよくよ思い煩うことがあろうか」


 事ここに至っての亀寿ノ方さまのご述懐は、お涼の義憤をいっそう煽らせた。


 ――齢40にして還暦の老女のごときご達観。何とお健気な……。


 八百万の神々にお訊ね申します。

 一途な亀寿ノ方さまは、両想いのご先夫・久保さまに清廉な操を通されました。

 悲しみの渦中にあって、ご自分の不幸を他者への慈しみに転じて来られました。

 かように慈母観音のごときお方に、何故さらなる苦悩をお与えになるのですか。


 天下の極悪人は家久ではありませぬか。

 まるで逆転しておりましょう、賞罰が。

 納得が行くまでご説明くださいませ!


 丹田に力を籠めたお涼は、穏やかに温む春の空を、親の仇のように睨めつけた。


 ――亀寿ノ方さま、何処へ落ち延びられても大丈夫でございますよ。このとおりの腕自慢が従いておりますゆえ。どうかどうか、お気を強くお持ちくださいませ。


 つと振り返った亀寿ノ方さまは、幼子のように無垢な微笑みを湛えておられる。

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