第74話 茅乃姫の懐妊公表の段どり
11月30日巳の刻。
お涼は鶴丸城の天井裏に潜んでいた。
奥御殿でも城主・家久の居室に最も近い豪奢な部屋が茅乃姫に宛がわれていた。
それまでは家久の気分次第で夜伽の側室が呼ばれ、波濤渦巻く大胆な絵柄の襖に放埓な濡れ場を見せつけて来た。お涼は亀寿ノ方さまから、そう聞かされていた。
――さような汚らわしい部屋に、清らかな茅乃姫さまを……。
お涼は怒りで胸をくすぶらせたが、家久もさすがに気が咎めたらしい。
悪趣味な襖は格調高い山水画に変わり、真新しい畳から井草の香が上っている。
女物の華奢な文机や脇息も、見るからに高価そうな最高級品の渡来物である。
――琉球との密貿易がうわさされる家久の腕の見せどころ、といったところか。
豪華な調度を値踏みしたお涼は、側室に迎えられてからも、家久の変わらぬ寵愛を受けていると聞く茅乃姫のために、安堵の胸を撫で降ろした。
金糸や銀糸、紅、碧、黄色、茶、橙、藍、紫紺などさまざまな色糸で
――この可憐な方が獣の側室に……。
お涼の胸は泡立たずにおられぬ。
とそこへ、せかせかと貫録のない足取りで、当の家久が侵入して来た。
「昨夜は、ふふふ、そなたと一晩中一緒におられて、余は至って満足であったぞ」
――何と気色の悪い含み笑い。
茅乃姫はおっとり優雅に小首を傾げただけ。
「今日の気分はどうじゃ? 悪阻のほうは」
人情の機微に疎い家久は性急に畳みかける。
茅乃は小さな声でごく簡潔に、
「大事ありませぬ。が、お屋形さまのお情けを頂戴するには支障があるかと……」
「そうか。よし、相分かった。この際、そなたの懐妊を、みんなに公表しようぞ」
茅乃姫は仔鹿のごとき眸を、こぼれそうなほど大きく見張ってみせている。
「さすれば、もはや何の心配も要らぬ。な、そうであろう? それがよいわ」
「はい。御意にござります」
満足げにひとりで合点している家久に、茅乃姫は取り澄まして答えている。
――茅乃姫さま、まことによき首尾にて。ここまで来たら一刻も早く既定事実を印象付け、のっぴきならぬ状況にしてしまったほうが得策でございましょう。
いつになく素直な茅乃姫に、家久はすっかり気をよくした模様。
「よしよし、鶴丸はわが城。そなたはわしの側室。万事わしに任せておくがよい」
家久は小躍りせんばかりの軽い足取りで、茅乃姫の部屋を出て行った。
新参の側室の懐妊は、あっという間に城内にあまねく知れ渡るだろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます