第21話 神をも畏れぬ物語の幕開き
「でな、事ここに至ってわたくしはあらゆる迷いを吹っ切ることに決めたのじゃ。かねてよりひそかに台本を書き進めて来た案件を、いまこそ実行に移そうと思う。ほんの一歩、いや半歩を踏み誤っただけでも千尋の谷に真っ逆さま、命取りになること必定の、戦慄と興奮に満ちた物語のあらすじを、そなた、聞いてくれるか?」
いつにない迫力が籠もった亀寿ノ方さまのご双眸に、お涼はこくんと首肯する。
「亡き父上は正統な島津宗家の存続を、ひたすらに望んでおられた。策謀家だの、
「そのことはわたしも承知いたしております」お涼は自ずから前のめりになる。
🌠
「じゃがな、お涼。無念にもわたくしは島津宗家の直系となる孫を、ついに産んで差し上げられること適わなんだ。口惜しいが、父上の宿願にお応えすること、どうしても適わなんだ。その一点において、わたくしは稀代の親不孝者なのじゃ……」
✭
山湖のごとき眸に見る見る盛り上がった熱い水が、瞼の堰から零れ落ちる。
「さようなことはござりませぬ。奥方さまの御孝行は、大殿さまもご承知であられました。わたしごとき者にも、奥方さまへの感謝を繰り返しお話になられました」
真心を尽くしたお涼の慰めにひとしきり忍び泣かれた亀寿ノ方さまは、しとどに濡れそぼった顔を上げると、打って変わった冷静な口調で粛々と宣言を下された。
「いまこそ、わたくしの命運を賭した渾身の代替策の手立てを講じるときである」
☆彡
島津本流の正統な血を引く茅乃姫どのに、鶴丸城の世継ぎを産んでいただく。
🌟
ぞくっ!
筋肉質のお涼の全身を、戦場の先陣を命じられた侍のごとき戦慄が走り抜ける。
「そなたもよく承知してくれているとおり、幸いにも(笑)わが殿におかれては、異常の冠がつくほどの色好みであられる。その辺りをちょこっとばかりな、ふふ、こちらとしてはまことに都合よく利用させてもらうのじゃわ。ふっふっふっ……」
秘密を打ち明ける亀寿ノ方さまは、とびきりの
「お伊都どのの話によれば、茅乃どのには兄とも恋人とも慕う従兄の松之進どのがおられるそうな。その松之進どのの父上は備前守どのの実兄であられる。ゆえに、両名の間に子どもができれば、正真正銘の島津宗家の本流となる。茅乃どのには、松之進どののお
――おおっ! やっぱり、そういうことであられたか。
何と大胆不敵な!
かつ何と痛快な!
亀寿ノ方さまの意気に呼応したお涼の忍魂は、陣太鼓のように激しく共鳴する。
「まことにもってすばらしきお
「よろしく頼むぞ」
「ですが、なにしろ事が事だけに、こちらの思惑どおりに事を運ぶのは、神業にも等しい至難かと存じます。ご無礼ながら奥方さまにお訊ね申し上げます。この長編物語を、如何にして完全なる大団円に導かれるおつもりでいらっしゃいますか?」
「ふふふ、きわめて緻密な策略が必要じゃろうのう、まさに八百万の神々に挑むに等しい荒技だけにな。もっとも、わたくしの中では、とうに完成しておるが……」
事も無げに言い放たれた亀寿ノ方さまは、さらに驚くべき仕儀を言い継がれた。
「台本の『当て書き』とでも申そうか、じつはな、そなたも極めて重要な登場人物のひとりに設定させてもらっておるのじゃ。謀の成否はそなたの活躍次第と言ってよいほど重要な役目を、その頼り甲斐のある双肩に負うてもらうつもりなのじゃ」
「ええっ、わたしごとき者に、さような大役が務まりますかどうか……」
ひらひら手を振って謙遜してみせながらも、お涼の胸は喜びに弾ける。
――心からお慕いするお方にこれほどまでに頼りにしていただいている。侍女としてかような喜びがあろうか。わたしはこの方おひとりのために一生を捧げよう。
あらためて心に誓うお涼を真正面から見据え、亀寿ノ方さまは念を押される。
「よいな。いまこのときからそなたはわたくしの同志じゃ。堅き契り忘れまいぞ」
ひたとお涼を見据える双眸に、一個の生命体のごとき焔が昏く燃え盛っている。
奥方さまの一大決意をお受けしたお涼は、思いきって私見を述べることにした。
「わたしごとき若輩が不遜な仕儀を申し上げるのはいささか僭越とは存じますが、こたびの件は伸るか反るかの大博打、かように位置付けてよろしいかと存じます」
「まあ、それは、そうじゃが……」
「なれど、不肖、わたしの中のくノ一の勘がしきりに騒ぎ立てるのでございます」
「そなたの勘が……して、何と?」
「ずばり! 有終の美の
「おお! それは吉兆なるぞ。まこと、
「はい、奥方さまが身命を賭されたご本懐、必ずや成就させてご覧に入れます」
密談の成立を祝すように、石燈籠の下に咲き初めた月下美人が濃密な香を放つ。
昇り詰めた満月の兎は、見て見ぬふり、聞いて聞かぬふりをしてくれるらしい。
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