第22話 殷賑を極める鶴丸城下




 

 6月11日未の刻。

 何事もバタバタと畳み込まねば気が済まぬのは主従に共通の性癖である。(笑)


「まこと人間の性分とは、おかしなものじゃな。如何に懸命に御居処おいどを叩こうと、動かぬ者は、じりとも動かぬ。放っておいても動く者は動く。とりわけそなたは、自分の御居処を自分で叩いて突っ走るようなところがある。ふふ、もしやとは思うが、わが父上が外でこさえた妹ではなかろうな?」


 生真面目なくせに至って諧謔好きな亀寿ノ方さまは、片目をつぶってみせる。

 ゆえに、昨夜の今朝にして、お涼はもう鶴丸城下にいるという次第である。



 1年ぶりに訪う鶴丸城下。

 こぢんまりした国分城下に比べれば、やはり圧倒的な規模を展開させている。

 すぐ目の前で悠揚と白煙を噴き上げる、桜島の雄大なたたずまいも懐かしい。


 米屋、魚屋、革屋、計屋はかりや、張物屋、白銀しろがね細工屋、塗師ぬし紺屋こうや、桶屋、揚酒屋、鍛冶屋、筆屋、俵編屋、温飩屋うどんや、豆腐屋、阿蘭陀飴屋おらんだあめや、洗濯屋、木綿賃引屋……。ありとあらゆる職種が軒を並べ、それぞれの店から流れ出す刺激的な匂いが、ぷんとお涼の鼻孔を突いて来る。

 本日は「楽市楽座」の当日とあって、城下はいっそうの賑わいを極めていた。


 ――そぉれそれそれ。たったいま出た「読売」の速報だよ。限定100部っきりと来た。読まなきゃご時世に遅れっちまうよ。売りきれ御免の早い者勝ちだよ。


 威勢のいい尻端折しっぱしょりで、書き物を売っている若い男がいる。

 向かいの辻では粋な頭巾に半袴の傀儡師くぐつしが、面白げな口上を述べ立てている。


――さあさあ、みなさま、お立ち会い。御用とお急ぎでない方は、どうぞゆっくり見てござれっと。遠目山越し笠のうち、見ざれば、物の出方に善悪・黒白あいろのほどが、とんと判じかねますると来たもんだ。あ、そぉれ、それ、それっと。


 軽妙な囃子はやしに合わせ、肩に担いだ絡繰り箱から、唐風の人形が2体、ひょこっと顔を覘かせた。

 赤と緑の派手な唐人衣装。

 耳の上に団子を2つ丸めた唐人髪の姑娘くーにゃんである。

 2体の人形は傀儡師の口説に合わせ、痩身をクネクネさせながら踊り始めた。


 ――山寺の鐘がゴーンゴンと鳴るといえど、法師来たって、鐘に撞木しゅもくを与えなければ、鐘が鳴るか、撞木が鳴るか、とんと音色が判じられぬわいと来た。娑婆の仕掛けは得てしてさようなものにござりますわい。あ、そぉれ、それっと。


 姑娘人形が引っ込むと、今度は箱の底が、ぱかっと割れた。

 青波白波に、どっとばかりに押し出されて来たのは、南蛮風の海賊船である。

 襲うほう、襲われたほう、共に狭い船上で入り乱れながら右往左往している。

 まさに阿鼻叫喚あびきょうかんの図。

 怖いもの見たさの気持ちをくすぐる仕掛けになっているらしい。


 見物人のどよめきをよそに、傀儡師は素知らぬ顔で口上のつづきを語り始めた。


 ――さあて、みなさま方お立ち合い。手前がここに取り出しましたるは、陣中膏じんちゅうあぶらにござる。ひと口に蝦蟇がまがえるといえども、そこにもここにもいる蝦蟇とは蝦蟇の出来が違うと来たよ。星の数ほどいる蝦蟇から選びに選び抜かれた、傑物中の傑物のお蝦蟇さんだよ。さてさて、お立ち合い。傑物蝦蟇どんの粘っこい脂を、ちょちょいと拝借しましてぇ、ここの傷に塗ってやれば、おんや不思議や不思議……。



 それから数間すうけんも行かぬうちに、今度は猿楽さるがくが興行を行っていた。

 だれの真似なのか、おかしな腰つきで啄木鳥きつつきのような動作を繰り返している。

 両手を地面に突きくるりと回転すると、見物人から、やんやの喝采が湧いた。


 ――あ、いかぬ、いかぬ、見世物ごときにうつつをぬかしていては……。


 お涼は好奇心の強いおのれを叱咤する。

 だが、すぐに次なる誘惑が待っていた。


 尖った頭に鼠色の頭巾を載せているのは香具師やしらしい。

 乾燥させた薬草から怪しげな南蛮薬まで、珍しい薬を茣蓙ござの上に並べている。


「これ、そこなる別嬪さん。恋の病に利く良薬はどうじゃな。ご所望なら、好いた殿御を振り向かせる媚薬も煎じて差し上げよう。いや、別嬪さんに特別にな……」

 危うく目を合わせそうになり、お涼は慌てて退散する。


 甲突川こうつきがわに架かる逢初橋に差しかかった。

 橋の袂の暗がりに潜んでいるのは、客引きの傀儡女くぐつめだろうか。見るからに粋な雲の模様の手拭いを頭からふわっと被り、蛭のような赤い唇で端をくわえている。

 反対の袂には、逢引きらしき男女が一対。

 他人目を忍び熱い目を交わし合っている。


 犬は喧しく吠え立て、猫はシャーッと牙を剥く。

 逃げる鶏を追いかけながら、青洟あおばなを垂らした子どもが縦横無尽に突っ走る。

 粗暴なけんかの罵声に甲高い女の嬌声が入り混じり、上を下への大騒動である。

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