じめさあ――島津🌺亀寿姫の本懐

上月くるを

第1話 プロローグ




 *言うまでもありませんが、この物語はフィクションです。


 

 慶長16年3月10日(1611年4月22日)辰の刻。

 天の底が抜けた。

 大量の黒い雨塊が無数の蝙蝠こうもりになって粘りついて来る。

 突き上げる憤怒に仁王立ちになったお涼(島津宗家第18代家久の正室・亀寿ノ方付き侍女。27歳)は、鍛え上げた大腿二頭筋がムリムリッと動くのを感じた。


 かりにも人間のすがたをしたものが、これほどまでの悪行を働けるものなのか。


 ――捨てて、捨てて、捨て切るのじゃ。


 畏敬する「タイ捨流しゃりゅう」兵法の創始者・丸目蔵人まるめくらんど師は恬淡とした口調で入門したてのお涼に諭してくださった。剣も、忍も、人生も、おのれのなかに棲み付く執着や拘泥など負の感情のことごとくを捨て切ったところから、すべてが始まるのだと。


 だが、島津忠恒あらため家久(慶長11年、徳川家康より偏諱へんき)は、卑劣な手をつかって金、物、名誉の「俗」を寡占したうえ、舅・義久の他界(享年79)を機に、従姉でもある正室・亀寿ノ方を、生家の鶴丸城から放逐しようとしている。


 薩摩ならびに大隅2か国を預かる島津宗家の第18代当主として、否、その前にひとりの人間として看過できぬ醜行のかずかず、断固、許す仕儀はかなわぬぞ!!


 発止はっしと雨天を睨めつけるお涼の肉厚の頬が、ブルブルブルッと激しく震える。


 ――奥方さま、お労わしゅう存じます。姉上ともお慕い申し上げる亀寿ノ方さまにお仕えして17年。いまこそお涼の手で、悲運の奥方さまをお守りせねば……。


 お涼は両足の10本の指をしっかりと開き、両の母指球でぐいっと大地を掴む。

 全身の力を抜いた究極の自然体でありながら、丹田と肛門、内腿は、石のように堅く締め、八方からの攻撃に瞬時に動くことができる、くノ一の立位りついを取った。

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