第61話 茅乃姫にぞっこんの家久



 

 しばらく黙り込んでいた揚羽は、急に口調を改めて、

「1銭にもならぬ感懐は、ここまでじゃ。さあ、商売、商売」

 取り付く島もない、冷酷無情な女衒にもどっていた。


 左足を引き摺った揚羽は、突き当りの部屋へお涼を案内する。

 渾身の力で施錠を開けると、絢爛豪華な家久専用の特別迎賓室が現われた。

 お涼は素早く忍者装束に着替え、天井裏の闇に存在と気配を溶け込ませた。


 やがて。

 もつれるような足音とともに、ひと組の小柄な男女が突入して来た。

 紛れもない家久と茅乃姫である。

 驚いたことに、家久は早くも一介の恋する男になり下がっていた。


 ――みごとに罠に嵌りおったな。


 眼下の家久は、幼児のように少女の茅乃姫に取り縋っている。

「茅乃。会いたかったぞ。一日千秋とは、まさに、このことじゃ。わしがどれほど今宵を待ち焦がれておったか、この胸をかち割って見せてやりたいほどじゃわ」

「ふん」茅乃姫は鼻の先であしらい、くるっと家久に背を向ける。


「む……。そなたはまことに冷たい女子じゃ。もっとも、そういうところが、わしの、申しては何じゃが、人一倍感じやすいこの胸をな、闘鶏の水掻きのように掻きむしり、四六時中の恋慕に悶えさせるのではあるがな。何じゃ、恥ずかしいのか? そう下ばかり向かず、わしの顔をとっくりと見るがよい」


 茅乃姫は枕元に立てた鏡を見る。

 釣られて、家久も鏡を覗き見る。


「何と美しい。まるでいましも咲き出た芍薬の花のようじゃ。ああ、もはやわしは堪らぬ。この身が焦げてしまいそうじゃ。茅乃、この世で一番そなたが愛しいぞ」


 懸命にかき口説かれても、茅乃姫はどこまでも素気ない。

 

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