第60話 揚羽の店の小さな仏壇




 

 11月15日(1616年1月4日)戌の刻。

 お涼は鶴丸城下に潜んでいた。


 女衒の揚羽が営む美少女遊郭「艶」は、会員制の秘密講である。

 汗と脂と排泄物を煮詰めたような悪臭。露骨な枕絵模様の夜具。煽情的な桃色の蚊帳。七段の雛壇を突き崩したような空間で、物憂げに蠢く可憐な人影……。


 ――何度来ても慣れぬわ。


 険しく眉を顰めるお涼に、揚羽は面目なさげに頭を掻いてみせ、

「特別扱いを喜ぶ上客の心根は、螺旋らせんのように捩じ曲がっていやがるのさ。外面がいい分だけ、かような隠れ処では、存分に羽目を外そうってぇ寸法だろうぜ」

 敢えて大部屋にした理由を、くどくど述べ立てている。


 お涼が頭も振らずにいると、揚羽はさらに弁解めいて、

「いや、その、これでもな、人助けの一翼を担っているつもりもなきにしもあらずなのじゃが……」

「はぁ?」

 お涼は呆れ返る。


 ――図々しいにもほどがあろう。


 憤然と撥ね付けると、揚羽は昏い目を伏せて、

「この娘たちの出自は、武家、町人、百姓などさまざまだが、親がのっぴきならぬ事情を抱えておる状況は同じじゃ。うちで引き取らねば、海を越えた南蛮の女郎屋や見世物小屋へ売られ、死ぬまで酷使されるのが関の山なのさ。拙者なんぞの身で申すもおこがましいが、少しでも救いの手助けができたらと思うておるのじゃ」


 本人も気づいていないのだろう。

 揚羽は武士の口説にもどっている。


「兄や父、場合によっては祖父のごとき年嵩の客を取らされる状況が、この娘らの幸せとは、さすがに拙者にも言えぬ。じゃが、しかし……」

 そこまで言うと、揚羽はふっと口を閉ざした。

 横目で窺うと、高く通った鼻筋がうっすら赤らんでいる。

 その目の先、客からは見えぬ物陰に、灯明を上げた小さな仏壇がある。


「労咳で死んだ娘のものさ。いくら言ってやっても親兄弟が引き取りに来ぬゆえ、ここでな、毎朝夕、経を上げて菩提を弔うておるのじゃわ」


 揚羽の説明を聞きながら、お涼はふいに涙ぐみたくなった。


 ――傷ついた人たちが肩を寄せ合って生きている。いたいけない娘たちも、揚羽も、思いようによっては倒錯した癖の客たちも、みながみな哀れなものじゃ……。

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