第55話 「左衛門督さま祀り」の提案




 

 11月9日巳の刻。

 お涼は再び花売り娘になって、坊津の港町を歩いていた。


「お花ぁ、花はぁ、要らんかねぇ」

 頭上の籠には、今朝採り立ての野薔薇や桔梗、女郎花が揺れている。姐さん被りの手拭いからのぞく丸顔には、頬紅を濃く刷き、野暮ったい化粧を施している。


「お仏前に持って来いのお花だよ」

 そこへ、塩辛い声が掛かる。

「おおい、姐さん。精が出るなぁ」

 見れば、昨日の漁師である。


 お涼は素朴な口調を心掛け、

「あい。おはようさんでごぜえやす。漁師さんも早うから、せっせとお稼ぎで」

「おおよ、せいぜい稼がにゃあ、口煩え嬶や餓鬼どもが干上がっちまうからよぉ。ところで、姐さん。今日は何やら青い顔をしとるようじゃが、何かあったのかい」


 実は……。

 お涼は昨夜の亡霊の話を詳しく述べた。

 と、漁師の顔が見る見る青ざめてゆく。


「ゆんべ寝付かれず、表に出てみたら侍の幽霊に会った? そりゃ本当かい。……いんや、初耳だな、幽霊が出るっちゅうのは。もっとも、この辺の漁師は寝に就くのが早えから、夕飯過ぎにゃあ、だれも外を出歩かねぇからなあ」

「ああ、それで。島津御本家はもとより、地元の坊津のみなさんからも忘れられてしまったら浮かぶ瀬がないって、幽霊のみなさんたち、とても悲しそうでした」


 純朴な漁師は、自分が叱られた張本人であるかのような悄気顔しょげがおになり、

「だろうな。義のために命を捨てたのに、素知らぬ顔をされたんじゃ、当のご本人たちにとっちゃあ、やりきれねえだろうなあ。大きい声じゃ言えねぇが、おかげを蒙っている鶴丸城のお屋形さまも、いったい全体、どういうおつもりか……」


 殺生を業とする漁師は、極めて信心深い。

 付け込むわけではないが、多少は利用させてもらっても、罰は当たるまい。

 お涼はなるべく殊勝気に頷いて見せた。


 案の定、漁師は赤銅色の顔から、白い歯をはみ出させ、

「よおしっ、任せときな。漁師仲間を誘って盛大な御祓いをやってやるよ。いんや一度きりじゃねえ、これから毎年『左衛門督さえもんのすけさま祀り』を催してやっからよぉ」


 丁寧に礼を述べたお涼は、素朴な花売り娘にもどって漁師の元を離れた。

 狭い港町のこと、夕刻までに隈なく幽霊のうわさが広がっているだろう。

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