第56話 都城城下をさすらう怨霊たち




 

 11月12日午の刻――。

 お涼は都城みやこのじょうの城下にいた。


 ――ん? 妖気!


 土埃の通りを歩きながら、只ならぬ気配に、全身の繊毛を逆立てる。


 ――穏やかな町屋のそこかしこで、無数の怨霊が眸を瞬かせていそうだ。


 今日のお涼は、都城の10余りの外城のひとつ、月山がっさん日和城下から出て来た百姓婆に扮している。髪は真白。深々と腰を折り、枯れた蛇のごとき杖を突いている。


 眼前に、懸崖造りの城郭と、重厚な城主の館が聳えている。

 かつての都城は、島津氏譜代の筆頭家老を務めた伊集院氏の仕置き下にあったが、現在は旧主・北郷氏に復していた。他の外城と同様、北郷氏以前にも、熾烈な争奪戦が繰り返されたと聞いている。


 ――あの城には歴代城主の怨念が籠もっている。あな恐ろしや。


 物思いに囚われていると、

「婆さん、何処へ行くね?」

 若い男の乾いた声が掛かった。


 老婆らしく、ゆっくり首を廻らせてみれば、薄い唇の端を歪めた職人風だった。

 つるんとした面長に、赤毛氈あかもうせんに鎮座した男雛を思わせるチマチマした目鼻立ち。

 女でもとおりそうな優男だが、小刀で抉り取ったような頬に不穏な翳が見える。

 お涼は気取られぬように身構えた。


「あい。ちょいとそこまで、せがれの顔を見に行きますいねぇ」

「ほう。裏小路で小商いねぇ。いい儲け話でもあるのかい、お上に内緒のよぉ」

「さあて。田舎婆には商売の話なんぞ、とんと、わかりませぬわい」

 突き放すように答えても、男はへらへら笑いながら従いて来る。


 ――ええぃ、うるさい奴だ。


 角を曲がった瞬間、背後から凄まじい殺気を感じた。


 ――ハッ!


 素早く腰を伸ばしたお涼は、巧みに体幹をひねらせる。

 くるっと振り向きざま、杖の把手を男の首に引っ掛ける。

 ぐいっと引き寄せると、男はみごとにもんどり打った。

 同時に、懐から鈍い銀色を放つ物騒な物が転がり出た。

 どさっと倒れた男の手が、地面の匕首あいくちに伸びかかる。

 逸早く、男の急所に容赦のない跳び蹴りを食らわせる。


 ――グエーッ!


 「覚えていやがれ」

 月並みな台詞を残した男を見届けたお涼は、素早く百姓婆にもどった。

 幸いにも、瞬時の活劇は行き交う町人の目には留まらなかったらしい。


 ――家久の刺客か、竈局の回し者か。いずれにしても、小童こわっぱに深追いは無用じゃ。


 再び腰を屈め、ゆるゆると歩を進めて行くと、奇妙な事実に気づいた。

 すれ違う人の何人かにひとりが「ちっ」とか「けっ」とか「うっ」とか、符牒のごとき言葉を投げて行く。悲しげな顔は揃って緑青色。陽光は濃いが、影がない。


 ――もしや。


 くノ一お涼の予感が炸裂する。

 次にすれ違った若い女に声を掛けてみた。

「あの、失礼ですが、あなたさまは伊集院さま所縁の方では?」

「如何にもさようにござります。よくおわかりになりましたね」


 うれしげに答える声は澄んでいる。

 だが、濁った顔色は溝水どぶみずのごとし。


 よほどの鬱屈が溜まっていたのだろう。

「見ず知らずのお方に、詰まらぬ内輪話などお聞かせしては……」

 少し躊躇ちゅうちょしていた可憐な小袖すがたの女は、自ら話の堰を切った。

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