第57話 家久自ら譜代家老・伊集院忠棟を誅殺




 

 天正15年(1587)の九州攻めで、豊臣軍は秋野の蝗の大群のように九州を席捲した。名門を自負してやまない島津家を傘下に収めると、秀吉本来の悪戯心が鬱勃と湧き上がって来たものと見える。


 ――「尾張の小猿」と侮った罰じゃわい。


 秀吉の特技のひとつは、よその大名の忠臣の「一本釣り」である。

 おのれの力を軽んじた島津への意趣返しとして秀吉が目を付けたのは、島津譜代の筆頭家老・伊集院忠棟だった。


 ――絶大な権勢を振るう義久の懐刀を取り込めば、さしもの島津の結束も……。


 双眸を炯々と光らせつつ秀吉は、綿密な台本を練った。

 まずは腹心の石田三成に伊集院忠棟を手なずけさせる。

 次に伊集院を「太閤検地」の現地責任者に祭り上げる。

 おそらくは「自分には荷が重過ぎる」と渋るだろう。

 だが、積極的に了承するまで、懇々と言い含めるのだ。

「そなたが命より大切な、島津さまの御為なのじゃぞ」


 ――開けて吃驚きっきょう「太閤検地」!


 台本は山場を迎えた。

 窮鼠をねぶる老猫は、最善の時期を見極めたうえ、決定的な命令を下した。

 検地の功労者として伊集院に8万石を与え、島津と比肩する大名として遇する。

 雀の涙ほどの所領しかもらえなかったばかりか、先祖代々の思い入れのある地の所替えまで余儀なくされた島津の血縁者は、当然ながら烈火のごとく憤慨した。


 ――正直、中央の言うがままのお屋形さまも情けないが、口が裂けてもそれは言えぬ。


 勢い、家中の憎悪は、伊集院忠棟ひとりに収斂した。


 ときは流れ、台本の完結を見ぬまま当の老猫は逝く。

 益するものがなかった「朝鮮出兵」は、即座に撤退となった。

 巨済島から九州に上陸した家久は、その足で京へ駆け上った。

 次代の権力を揮い始めた徳川家康に拝謁し、島津家後継の安堵を取り付けると、伏見の島津屋敷に伊集院忠棟を呼び出し、自らの刀で譜代の家老を誅殺ちゅうさつした。

 

 主君を差し置き中央政権に靡いた罪。

 朝鮮の陣地への物資輸送を阻んだ罪。

「太閤検地」で自身に有利に取り計らった罪。

 お上の威光を嵩に、傍若無人な振る舞いを行った罪……。


 不本意にも、長年、国許を留守にせざるを得なかった家久からすれば、義の刀を受けるべき奸臣の罪状を数え挙げれば、それこそ際限がなかったやも知れぬ。


 血気に逸る家久を、舅・義久も実父・義弘も諌めなかった。ばかりか「島津家はいっさい与り知らぬ。浅慮な家久が独断で行ったこと」として白を切り通した。

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