第50話 高札場に掲げられた幽霊の絵騒動



 

 未の刻。

 佐土原城下のメインの四辻は、いつもにない人だかりで賑わっていた。

 真新しい紙に張り替えられた高札の前で、通行人が次々に足を止めている。


「おっ、何だい? こりゃあ」

「お堀に出るとかいう、例の幽霊じゃねえのかい」

「おいら、見たこたぁねえが、満月の晩に出るっちゅう話は聞いたことあるぜ」

「何でも、昔の殿さまが毒殺されたのが、月のたいそう明るい晩だったとか」


 ちゃっかり最前列に陣取っている者。

 人垣の頭越しに覗き込もうとする者。

 人を押しのけて前へ出ようとする者。


「きゃあ、怖い。足が無いよ、おまえさん」

 とつぜん甲高い女の悲鳴が響き渡る。

「当たりめえじゃねえか、幽霊だもの」

 連れの男が格好をつけて見せている。


 こうっと……。

 こっちの幽霊が一番の男前だな。

 いんや、それを言うなら、あっちだろう。

 あたしはこっちのお侍がタイプだな。

 やだ、あんたったら、趣味が悪いね。

 どこからどう見ても、あっちでしょう。

 そう言うあんたこそ、センスが変だよ。

 あんたたち、どこに目を付けてんのさ。


 人だかりは砂糖黍に群がる蟻のように、恐ろしいほど見る見る膨らんでいく。


「ここだけの話だが、島津さまも相当に阿漕あこぎな仕打ちをなさったというからな」

「おおよ。恨み骨髄、この世の怨恨をあの世まで引き摺って行こうってえ寸法か」

「成仏できず、その辺に彷徨っているお侍の霊魂、恐らく、両手に収まるまいよ」


 とそこへ、騒ぎを聞いた目付が尻端折りで駆け付けて来て、

「ふざけた絵を貼りやがったのは、何処のどいつじゃ? 畏れ多くも、天下さまに不敬を働こうってぇ奴は、この伊兵衛が取っ捕まえて、牢へぶち込んでくれるぞ」

 大声で恫喝しながら、しきりに十手を振り翳している。


 ――あれまあ、お役人の勇ましいこと。


 くわばらくわばら。

 どれ、あたしもこの辺で退散といこうかねぇ。


 長板本藍染の小紋に黒繻の掛け襟に菖蒲色の肩掛けの若女将から、鉛丹色の忍者装束に早変わりしたお涼は、つぶやいた瞬間には、町屋の屋根の上に立っていた。

 首だけ持ち上げた昼寝の三毛猫に片目をつぶると、音もなく駆け出した。

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