第25話 ミッションの棟梁は東郷重位



 

 子の刻。

 お涼は音もなく国分城の庭に降り立った。

 犬の雪丸🐕と猫の斑姫🐈は、目を瞑ったまま耳だけ動かして迎えてくれた。


 ――やれやれ、人は欺けても、こやつらは騙せぬわ。


 よしよし、わざわざ起きて来ずともよい。

 深更ぐらい、ゆっくり休んでおるがよい。


 いまにもむっくりと起き上がって来そうな犬の雪丸と猫の斑姫を宥めたお涼は、いつもより念入りな摺り足で、館の最奥にある亀寿ノ方さまの居室に向かった。


「そうか、占い婆も達者で何よりじゃ。ふふふふ、鶴丸城におった娘のころにな、いったいいくつまで生きるつもりなのか訊いてみたことがあるのじゃが、人のことは見事に当てる卜占婆も、さすがにおのれの未来ばかりは読めぬらしくて、いくら撫でても擦っても、さしもの勾玉が、うんともすんとも言わぬと嘆いておったわ」


 お涼の報告を聞き終えた亀寿ノ方さまは、ご機嫌よく思い出話をされる。

 この佳きお方が話に可笑しみを持ち込もうとされるときは決まって、並みの倭人とは明らかに異なる紅鬱金色べにうこんいろの美しい双眸に、童女のようにお茶目な光が宿る。


女衒ぜげん揚羽あげはも相変わらずじゃな。さぞかし阿漕あこぎな商売をしておるのじゃろう。あの男、自他共に認める悪人ではあるが、その割に義理堅く、なおかつ弱い者苛めを見過ごせぬ、潔癖な性質の持ち主でもある。まことにもって妙ちきりんな男であることよ。のう、棟梁」

「は、まことに」


 例の六曲一双屏風のかげから低い返事があった。

 迂闊にも見過ごしていたが、浅黒い男が白い歯を見せて笑っている。


「兄弟子どの! いつからそこに? 秘密の抜け道の番でもなさっておいでか?」

「まさか。お役目ご苦労であった。さすがはお涼どの。拙者としても鼻が高いぞ」


「いえいえ、滅相もござりませぬ。げんにいまだって、すぐそこに座っておられる兄弟子どのにも気づかぬ体たらく、まことにお恥ずかしい限りにございます」


「まあ、そう急かずともよい。大方の世の倣いに違わず、忍術も、結局は積算よ。踏んだ場の数だけ腕も上がると、こういう寸法じゃ。本人を前にして何じゃがの、お涼どのはなかなか筋がいい。こたびの任務を機に、さらに成長するじゃろうて」


 亀寿ノ方さまの前で臆面もなく褒められたお涼は、かっと身体を熱くした。


 ふたりのやり取りを可笑しそうに見ていた亀寿ノ方さまが、

「よかったな、お涼。尊敬する兄弟子にかように絶賛してもろうて。それそれ熟柿のように赤くならずとも……」

 再び諧謔を口にしかけたとき、音もなく起立した東郷重位が、

「だれじゃ!」

 低く押し殺した声を発しながら、障子をすっと開けた。

 曲者くせもののすがたは見えぬが、殺気の残留の気が漂っている。


「ムッ」

「ミッ」

 少し離れた場所で、犬の雪丸と猫の斑姫が、こぞって唾を呑む気配がした。


 一連の出来事にいささかも動じず、泰然と座しておられた亀寿ノ方さまは、

「それにつけても肥前守どの。殿の隠密夜遊び癖をよくぞ嗅ぎつけてくださった。おかげで飛んで火にいる夏の虫を台本の山場に据えられそうじゃ。恩に着るぞ」

 深々と腰を折り、心からの礼を述べられる。


 東郷重位は畏まり平伏する。

 むろん、お涼も、右に倣う。

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