第70話 国分衆による起請文の祈願




 

 申の刻。

 お涼が亀寿ノ方さまに報告しているとき、袴の裾捌きも勢いよく入って来たのは東郷重位だった。

「お屋形さま。『国分衆』のみなが、お話があるそうにござります」

「ん? みなとな。何用じゃな?」


 亀寿ノ方さまは芙蓉の顔をふと弛められた。

 無警戒はお伊都姫にも共通する美質である。


「起請文を認めたそうにござります」

 東郷重位は恭しく答える。

「なに、神文しんもんとな?」

 亀寿ノ方さまは驚きの眼を見張られた。


 東郷重位に促され、粛々と入って来たのは、「国分衆」の代表2名だった。

 まず、頭に白い物が混じる年嵩のほうが、重々しい口を開く。

「僭越ながら、われら一同、大願成就の願いを賭けましてござります」

 うやうやしく平伏し、亀寿ノ方さまに1枚の巻物を捧げ出す。

 見ると、放射状に名前が墨書されている。


「おお、これは!」

 驚愕する亀寿ノ方さまに、今度は血の気の多そうな若侍が勢い込んで説明する。


「鶴丸城のお屋形さまのあまりなお仕打ち、われら、もはや我慢が相なりませぬ。戦場でもないのに、お味方からの兵糧断ちなど、古今東西、とんと聞いた覚えがござりませぬ。及ばずながら、われらの手で一矢いっしお報いして差し上げたく、八幡社に祈願しとう存じます」


 両名の口上を聞いていた亀寿ノ方さまは、あっさりと言い放たれる。

「そうか。かたじけない。よしなに致せ」

 肩透かしを食ったような表情の「国分衆」に、亀寿ノ方さまは恬淡と、

「みなの心意気、この上なくうれしく思うぞ。如何なる場合にも是々非々の理を貫く、高潔な薩摩武士たちに恵まれたわたくしは、無上の幸せ者じゃ。だが、急いては事を仕損じる。奉納はくれぐれも隠密裡に行ってくれ」

 おごそかに告げると、打って変わった温顔を両名に惜しみなく与えられる。


 感激に頬を火照らせた老若は、活発な足取りで立ち去った。

 見届けた亀寿ノ方さまは、ふっと悪戯っぽい表情になり、

「そういえば、ただいまの笠連判に、肥前守の名も紛れ込んでいたような……」

「ご尊眼、まことに畏れ入ります」

 東郷重位は浅黒い頬を弛めた。


 ――笠状に円陣を組んでおけば、だれが主導した訴状やらとんと見当がつかぬ。万一、咎められても命までは奪われまい。いや、奪うつもりなら奪われてやろう。


 かような覚悟が、東郷重位の寡黙に滲んでいるようだ。


「亀寿組」の隠密裡の動きを一般の「国分衆」は知らぬはず。

 けれども、真理は自ずから湧き出る力を誘引するのだろう。

 亀寿ノ方さまにお仕えする身が、お涼はあらためて誇らしい。


 ――これじゃもの、人望に縁遠い家久が、嫉妬の焔を燃やしたくなるわけじゃ。苦境にあって、さらに団結を深める「国分衆」に、どうか神仏のご加護を……。


 一心に祈るお涼は、お伊都姫が帰依する基督教を初めて身近に感じていた。

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