第71話 八百万の神々のお告げ




 

 11月19日未の刻。

 亀寿ノ方さまの身のまわりの世話をしていたお涼は、法螺貝の音色を聞いた。


 ――ハッ!


 お涼の勘が震えた。

 朱門の外へ出てみると、異様な風体の大男が、ぬっと立っている。

 黄土色の鈴懸の法衣。遠目にも知れる才槌頭の額に、大日如来の五智(法界体性智、大円鏡智、平等性智 、妙観察智、成所作智)の宝冠を示す頭襟ときんを巻いている。頑丈そうな肩に、法螺貝と、六波羅蜜(眼施・顔施、言施、無畏施、身施、心施を示す結袈裟を掛け、腰に危難除けの螺緒かいのおと、座布団代わりの引敷ひっしきを下げている。金色の最多角念珠を巻いた手が赤剛色の錫杖を握っている。例の山伏だった。


 ――月影。


 山伏が低く問う。


 ――足下。


 お涼が短く答える。


 次の瞬間、山伏は消えた。

 亀寿ノ方さまの許しを得たお涼は鶴丸城下へ飛んだ。


「月」と記された紫紺色の暖簾。

「影」と大書された金茶の暖簾。

「足」と書かれた浅黄色の暖簾。

「下」と書かれた1枚布の暖簾。


 次々に払い除けると、100歳を超えていそうな老婆がうずくまっていた。

 皺だらけの粘土のごとき顔を、にやりと歪め、山姥のごとき嗄れ声を発する。

「おお、凝りもせずに、また来よったか」

 お涼はむっとしたが、小娘の反発なんぞ老婆は歯牙にもかけぬ。


 薄い撫で肩に埋もれた、太く、短い首。

 巨大な翡翠の勾玉を丁寧に擦り始める。


 ――あらむからじゃ、ならむからじゃ、はらむからじゃ……。

   八百万の神々にお伺い奉り申す。身を興すべきとき、ついに来たるか、 

   お告げくだされ。あらむからじゃ、ならむからじゃ、はらむからじゃ。


 やがて、勾玉の芯の部分に、ぽつんと赤い灯が点った。と思う間もなく、生き物のように、くねくねと揺らめき始めた。じっと揺らめきを凝視していた老婆は、


 ――キエーイッ!


 獣じみた大音声を発する。

「喜べ。時は来たりと出たぞ」

 お涼は膝をぐっと前へ進める。


「で、いつ?」

 老婆は田螺たにしのごとき目を光らせ、

「今宵じゃ」ためらいもなく断言した。


 お涼は4枚の暖簾を次々に掻き分けた。

 女衒の揚羽の店に向けて突っ走る。

 息もきらさず走りきると、「艶」と大書された朱の暖簾に身を差し入れた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る